雷も酷い。さっきのは凄まじい炸裂音だった。びっくりしたね。
この直後の写真なんかは昼間のように明るい。
自然の力、恐るべし!
本にも書いてあったのだけど、ニートや引きこもり当事者にとって、周りから理解が得られないって凄く辛い事だなと思う。
親からしてみれば、何でもいいからさっさと働けと言うが、当時者からしてみればそうできない事情というのがいろいろある。
対人恐怖とか、仕事がどうにも上手くこなせない、長時間拘束されるのがとにかく辛いとか・・・。
一度何かに躓いてしまうと、心理的に大きなブレーキが掛かる。高が一歩がされど一歩になってしまう。
この間のグループでも働いている人、そうでない人も様々な事情を抱えているんだということを断片的にではあるが知った。
当の自分はというと、親と同居していたときは、例の如く衝突することも度々あった。
度重なる挫折と必死の訴えで、今は「もうこいつはダメだ・・・!」みたいな感じになってきてとりあえず落ち着いた感はある。
A型就労支援だったかな?来週の月曜日にそれについての説明が聞けるので、金銭的にはキツいが、良さそうだったらそこから始めようかと話したら、「ああもう、それでええやん!」みたいな反応だった。
親は親でいろいろ考えがあるんだろうけれど、こちらにも社会に出て働きだすということが大きな不安や恐怖であったことをわかってほしかった。
話しても理解されないだろう。理解されないからこそ、何がそんなに辛いのか訴えることを話し続けていた。
その甲斐あってなのか、以前ほど重圧を掛けられることも少なくなった気がするし、多少はくみ取ってもらえる気もする。
何にせよだんまりを決め込むのはよくないだろう。意思表示はしていかないと。
「いつまでそうするつもりなんだという激に」きっと多くの人が「そんなに言うのなら、安心して働ける職場を与えてくれ!」と涙ながらに思ったことではないだろうか。
未だに然るべき解決方法ってわからないんだけど、結局自分でなんとかするしかないし、周りも口は出すが責任は取らないということだろうか。
理解のある第三者が話に割って入ってくれると良い気がする。
親と当事者だけの閉鎖された関係だとどうしても一歩も譲れず拗れてしまう。
第三者の違った意見は改め直す切っ掛けになるのではないか。
後は例えば不登校だと同情的な意見が多いのに対し、無職だと途端に「甘えだ!」「親が悪い!」「働けや!クズ!」みたいな感じになってしまうのも問題の解決を一層難しくしているような気もする。
一先ず待ってみるというのじゃダメかなぁ。
口うるさく催促したって本人は絶対に乗る気になんかならないし、余計な争いの火種にしかならないだろう。
よしんば仕事を始めったって、「うるせぇなぁ!働きゃあいいんだろ!働きゃあ!」みたいな心情というか、衝動から働いたって長続きするかどうか・・・。
だけど、しばらくすると「そろそろ何か行動してみてもいいかな?」と思える時期が来ると思う。(尤も自分はそうやって、よし!働いてみるか!とチャレンジしてその都度挫折しているわけですが・・・)
その時にそっと背中を押してあげれば、双方にとっていい事なんじゃないだろうか。
そういう決意が伴っていれば耐えられる度合いも高くなる気がする。まあ、自分が言っても説得力は無いですが・・・。
人生に正解って無いなぁって今更ながらに思う。
他人はいとも簡単にすることが自分にはとても難しく、きっと逆のことだってあるだろう。
他人はこう生きて成功した。だけど自分に通用するのかどうかは全くの別問題。
少なくともここに多少能天気ではあるけれど、悩んだり苦しんだりしてる人が一人はいるわけだから、「深く背負わず気楽にやっていこうぜ」と言えればなぁと。
新しい環境に飛び込んでいき、そこで馴染み、居場所を作っていく。
平気な人もいるだろうけれど、凄く勇気のいることで、凄くストレスの掛かることなんだと思う。
何が出来て、何が頑張れるのかわからないけれど、多分そうしていくより他に無いんだね。
それでいざ入ったとしても、報われるかどうかは全くの別問題。返って状況が悪くなることもしばしばあるでしょう。
何というか、やるせないというか、二の足踏んじゃうよね。
セバスチャン・ローブ ラリー EVOを思い出したようにちょこっとやってみる。
が、やっぱりハンドルの感度が少し高い気がする。横に流されるのを修正しようと、ちょっとスティックを傾けただけで大きく動いてしまい、スピン。車の制御がとにかく難しく感じる。セガラリー2006といい、何故必要であろうものが搭載されていないのか。
それにフレームレートの影響もあるのかもしれないけど、どう言ったらいいのか動きがカクカクしているんだよ。
ある一定の角度まではゆっくり動いて、そこから急に曲がるような・・・。
Dirt Rallyで出来た、あの流れる様な動きがどうも出来ない。コレもセッティング次第?
Dirt Rallyではアシストとは別に、ハンドルの感度や直進性など様々な設定が出来、何度も弄っては調整したせいもあるだろうけれど、同じ題材のゲーム、同じ車で何故こうも挙動が違うのか・・・。
初代F-ZEROで例えると全員ゴールデンフォックスなんですよ。
セバスチャン・ローブ監修とのことなので、こっちはDiRT Rallyよりリアルな挙動なんだろうか?車にすらロクに乗ったことがないのでわからない。
後はリプレイがダメだ。リプレイなんて今まで気にも留めていなかったが、Dirt Rallyで気が付いた。レースゲームにおけるリプレイの重要さを!
視点が少ない上、アングルも固定。おまけにここでもカクついてしまう。
Dirt Rallyではリプレイとリザルトが兼ねていてボタン一つで切り替えができる、非常にストレスの無い、他のゲームでも採用してほしいくらいのものだったのだけど、ローブラリーでは、リザルト1→リザルト2→L1ボタンを押す→暗転→リプレイという流れである。
これ自体は指摘する程でもないんだけど、いかんせんヤツが凄すぎた。良い物を先に見ちゃうとダメなんだよ。
勿論ローブラリーにも光る点はあるんだ。トヨタやスズキ等の日本車がDirt Rallyより多い。Dirt Rallyでは存在すらしない。
オリジナルカラーが作成できる。豊富なイベントモード。うねりまくって酔うサンレモがある。目玉の一つであるローブの半生を辿るストーリーモードも搭載。
後1歩足りなかった。痒いところに手が届かない!何かと惜しいゲームだと思う。
こういう小さな事でも重要なんだと思う。
Dirt Rallyは言うんだ。納得してプレイできるよう、あらゆる調整項目を設けた。自分に合う設定を見つけ出し、存分に楽しんでくれと。
凡ミスさえなければここまで来れる!ここを抜ければ実質クリアなのだ!
どこに行っても復活が難しい。最低でもスピードアップ、ミサイル、テイルガンの三つが欲しいんだけど、カプセルが少なすぎて、というより自機が貧弱過ぎて装備を整えることすら難関である。
残機が10機あろうが100機あろうが復活パターンを熟知していないと、延々死に続ける自機を眺めることしかできないのが一番つらい。
残機が沢山あるから安心だとか、最悪ゴリ押しとかが出来ないんだね。
最後の一歩ってある意味踏ん張りづらい局面でもあるんだけど、果たしてやり遂げられるか・・・。