一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

100倍楽しむススメ

バンダイからデッサン用の人形「ボディ君」とかいうものがあって、コレを使うと大体のポーズを描くことができるという優れものだ。描ける人に取っては・・・。

f:id:evange-cr-c89e:20180815170518j:plain

付属の冊子に「100倍楽しむ」とか書いてあるけど、自分は寧ろ苦しめられているんだよ!襲いかかっているんだよ!

 

f:id:evange-cr-c89e:20180815170650j:plain

あらゆる描き方を試してみても、「奥に向かって伸びていく絵」や「手前に向かって伸びてくる絵」はどうしても描けない。わかりやすく言うと正拳突きとか、正面に向かって走ってくるような絵。

 

f:id:evange-cr-c89e:20180815170850j:plain

デッサンスケールを使えば或いは・・・と思ったけど、上手くいかない。

というか、ちょっと視線がずれただけで、見え方が変わってしまうので非常に描きづらい・・・。

 

頭の中で考えた落書き程度の絵が「上手く伝えられれば」それで十分なんだけど、これでは伝えられないであろう。

最近思う。どれだけ練習してもこの先に進むことが出来ずに、永久に同じところをグルグル回り続けるだけのではないかと・・・。

何か活路はあると思うんだけど、わからないなりにも描き続けていれば、その内理解できるのであろうか・・・。

本当にこの遠近法が身につけば、理解できれば世界が広がる予感がするんだ。

 

 

S.H.フィギュアーツ ボディくん -宝井理人- Edition (Pale orange Color Ver.) 約140mm ABS&PVC製 塗装済み可動フィギュア

新品価格
¥4,814から
(2018/8/15 17:14時点)

墓参り

母から言われたことだけど、祖母に付き添って墓参りに行ってきました。

祖母は叔父と二人暮らしではあるけど、叔父は母から「奴は人間の感情を持っていない・・・」と言われる程なので、それより幾分人間の感情を持っていて且、暇な自分に白羽の矢が立ったわけです。

 

年齢的にも、連日の暑さもあって、大変なんだと思う。「また何かあったら、その時は頼みます」と言われたよ。

もう少し、手を入れて掃除をしておくべきだったろうけど、いかんせん早朝でも暑すぎる。

企業の為、国民の為、国の為、とか言って会社で働き続け、人の役に立つのは自分には出来ないことだろうけれど、身近な小さな事であれば、出来る事はあるんだと思った日でした。

 

ここで一曲


a-ha - "Take On Me (Alternate Take)" (Official Music Video)

友達との関係性

数日前に駅で見た光景が切っ掛けで、「久々に友人でも誘って遊んでみようかなぁ」と思い立ち、今日呼んでみた。

といって、お互い何処かへ出かけるようなタイプではないし、自分はお金が無いので、いつも通り家でゲームに興じるという、やや古典的?な遊び方。

それもニンテンドー64だ。家に人を呼んで、こんな古いゲームで対戦する人なんて、今時そうそういないだろう!

 

それはともかく、自分と相手の「そういう関係性のあり方」は果たしてどうなのか?という、ずっと前から考えていたことに未だに答えが出せない。

「これをして遊ぼう。特に興味が無かったら断ってくれても構わないから」と、予め予防線と情報を張っておいた上で、「いいよ。遊ぼうか」という返事だったので大丈夫だとは思うんだけど、それとなく、顔や様子を伺っていると、退屈しているわけではないが、といって凄く楽しんでいる・・・というわけでもない。(ゲームによっては退屈に偏っているかもしれない・・・)

自分だけが楽しんでいる、ピエロ状態は双方に取って悲しい結末なので避けたいのだが、相手に「何かこうしたいという提案はあるかい?」と聞いても、これといって明確な回答が無いんだ。

 

小学生から付き合いがある人だけど、腹の底の気持ちなんかわかるわけがないし、「正しい人との関係性」の明確な答えもわかるはずがない!

根掘り葉掘り聞いて探っていくのにも抵抗がある・・・。

彼が帰った後、「あれで良かったのかな」とか「他にやりようは無かったのか」とか、いろいろ考えてしまう。

相手と自分の事なる感受性をどう解決していいのかも、全くわからない。

自分の方向性もわからんわからんと悩んで久しいが、友人関係も同じくらいわからない。

 

他人との関りを大事にしようとか、豊かな人間関係を気付いていこうとか、一人は寂しいものだとか、無意識の内に皆が考えていそうなことだけど、自分にはわからない。

悩む事の方が圧倒的に多いから・・・。

他の人にとっては悩む程の事ではない、ごく簡単な事なのだろうか。

 

ここで一曲。


Dave Grusin - RIVER SONG

 

 

 

いつまで経ってもわからない

再び就職支援会社から、この記事を書いております。

9時から12時までの予定なんですが、まず10時頃には終わってしまう。

皆が真面目にパソコンやらビーズやらで個人レッスンをする中、ブログの編集ですよ。

でも、自分にとっては無くてはならない存在なのだ。

 

今日は身だしなみについてという話だったわけですが、改めて学んでみても、社会的処世術にはついては「いや~な」感じがするものです。

 

スーツ着ていかなきゃダメ!ボタンは下を開ける。ポケットは外では出し、中ではしまう。スニーカー、ジーパンダメ!

わざわざボタンを二つ付けているのに、下は開けなければならないとは意味がわからない。

つまり負荷が一か所に集中して、取れやすくなるじゃないか!何のための2つのボタンなのだ。一方女性は全部閉めろ!と言うのだ!

ポケットの蓋?を出し入れすることに何の合理性が?

靴の踵はどうしてもすり減っていくものじゃないか。

 

誰が、何のために、何を思ってそこまで厳格に決めているのかわからない。

こう語る人は、そのことをよくよく考えたことがあるのだろうか?何故?どうしてって?

 

例えば、工場での作業とかで、作業着を着るとか、安全靴を履くとかいうような話であればわかるけど、オフィスカジュアルなんて自由でいいのではなかろうか。

あなたはそれを着たいから着るし、自分はこれを着たいから着るのだ。特に誰にも迷惑は掛けていないとか思ってしまった。

なんかこう一々自分の美学に反するのですよ。それを抑え込んで世間の美学に無条件に従わなければならないのですから、辛いものです。

まあ、社会とはそういう考えが許されない世界なのでしょうが・・・。

思うに合理的かどうかより、「気に食わないかどうか」なんだと思う。

ダメージジーンズを履いてきたり、髪がピンクに染まった奴なんかを考えれば、わかりやすいでしょう。

昨今の集団主義?に懐疑的な意見を見る機会が増えた気がするけど、どこまでが集団主義なのか。

 

ここに参加する意義もわからず、考えて考えてどんどん不安になっていく。

毎回わからない、わからないと嘆いてばかりなんだ。

今日の収穫は牛の落書きの正面の絵と背面の絵はどうしたら、それらしく描けるのかについて一旦答えが出たことだろうか。前回は結局描けず終いだったので。就職と全く関係がない。

あれはやりたくない。これもやりたくない。一部屋に集団で固まるのも好ましくない。

職員やら周りやら、そこから発せられる言動やら、全てがどういうわけか気に入らない・・・。

どうして負の感情ばかりしか出てこないのであろうか。

一方、「何だったら嫌ではないのか?」「何だったら自らの意思で行動していけるのか?」これらについては、もう人生の永遠の課題かもしれない。

 

ここ以外に行く場所があれば、あるいは世間なんて知らねぇ!自分のスジを通す!と飄々と生きていける行動力や機知があればと夢を見る・・・。

 

駅から向かう途中、夏休みということもあってか、10代~20代前半くらいの人が目立った。

殆どが誰かと一緒に行動しており、楽しそうに会話をしている人も多い。

親しげに会話ができるほどの信頼関係が・・・連中にあるのかはわからないけど、そういう関係ならあった方がいいのだろうか。

電車の扉の前では3兄弟がたむろしており、少々邪魔くさかったが、駅に着くときには長男が「扉が開くから、どいて」と二人を誘導していた。

偉いもんだねぇ。自分も長男であるが、あれくらいの年頃はどうだったか・・・うるさくて落ち着きがないとか、長男としての自覚を持てだとか、周りと比較されてアレコレ言われるのが嫌だった記憶がある。

 

他には出勤途中なのか、スーツ姿の若い女性がいた。

しかしこれがスーツがよれて、姿勢も「クタ~」としていたおかげで疲れ切った感じが・・・。この先自分もああなるのだろうか・・・。

 

一人の利用者がビースをケースに戻していたんだ。

見ていても、特に苦労している様子はなかった。

にも拘わらず、隣にいた人が「手伝ったほうがいいなぁ・・・手伝いましょうか?」と声を掛けていた。

どこがどういう具合に困っているように見えたのだろうか?

案の定彼は「いやいいです」と断っていたよ。

 

主体性の欠落

明日も就職支援会社に行く予定があって、先月に8月の参加日を伝えたら「もう少し来れるといいねぇ」と言われたよ。

いやぁ、わかりますよ。ひと月に4回ではあまりに少なすぎる。数か月後には定着支援が控えているだろうに、そんなんで大丈夫かと。

しかしねぇ、やっぱり好ましい場所ではないんだ。未だに、何度通っても今すべき事や出来る事がわからない。確実に電車賃は失っているし、行きたいとは思えず、と言って繋がりを絶っては、それはそれで困るという中での妥協案である。

「知る為に来ればいいじゃない」とも言われたけど、わからないまま、嫌なことを嫌々続けることになって、じわじわ気力を削がれていくことになるような気がしてならない。どう考えても主体性が欠落してしまっている。

他の人はどうなんだろうか。

どうしてこう自分はどこに行っても、何をしても、1歩2歩周りよりも遅れてしまうのか・・・。

 

朝の大変な混雑も何回経験しても慣れないし、ネットの経済のニュースなんかを時折覗いても、何一つ(個人的に良いと思える)ニュースは無く、コメントを見ても、働き疲れて、それでいて収入や休みが少ないことを嘆くコメントばかりであるし、過去を思い起こせば、自分もそんな感じだった。

であれば、どうして4度、そんな環境へ飛び込んで行こうなんて思えるのか。

自分の時間は殆ど無くなるし、仕事が楽しいはずもない、肉体的精神的にも辛い、給料もギリギリと・・・。

真っ当な神経をしていたら絶対に嫌でしょう。と言って、このままで済むわけもないし。

その辺りの事について、あの会社のスタッフはどう考えているのだろうか?

周りを見渡しても、「仕方なくやっている」感があって、誰一人「就職頑張るぞ!その先には明るい未来が待っている!」なんて能天気なことを考えている人なんていないんじゃないかな。

恐らく、そのことでどうしても上手く立ち回れなかった、傷ついてきた人たちが大勢だろうし、講義の際のスタッフからの質問にも、その片鱗が窺えたものです。

当ブログではGoogle Analyticsを利用して、アクセス解析を行うためにcookieを使用しております。 Google Analyticsで集計したデータは、当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。 なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。 Googleによるデータの使用については、「ポリシーと規約」を参照してください。