一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

体験実習:会話について

仕事中は利用者に声掛けをする。具体的には作業をサボったり、ウロウロしていたり、声を上げたりしたら声を掛けて作業に戻ってもらうと。

そのくらいで済む、素直に応じてくれる話ならいいんだけど、実際そう上手くいくはずもなくて、特に自分は利用者にとってぽっと出なので、警戒心があるのかもしれない。

何せ自分自身利用者に対するわからなささに悩んでいるのだから。

自分があの人たちにどう映っているのかわからない。

好意的なのか嫌われているのか、とりあえず接してみたいと思われているのか、全く無関心なのか。

そこがわからない。これがわかってくると、どういう対応をしていけばいいのか、自ずと掴めてくる気がするのだが・・・。

どうも職員さんにもその辺りの事を自分が恐れていると捉えられてしまっているのだけど、そうではないのだ。恐れではなく「どう接すれば信頼関係を作れるのかわからない。その取っ掛かりやヒントが欲しい」と。

つまるところ何故?どうして?っていう理由が必要なんだ。

語ってくれる利用者なんて少数だし、聞き取れないことも多い。

 

何気ない雑談から始めるのがいいんだろうけど、これも大変難しかった。

おはようございます、体調どうですか?お仕事順調ですか?とか話しかけてみるんだけど、返事があればいい方で沈黙されることが殆ど。

あっても、一言返事が返ってくるくらいで、すぐに会話が途切れてしまう。

なんとか繋いでいこうと頑張るものの、会話のパターンなんかそんなに持ち合わせてはいない。

すぐに手詰まりになって、沈黙が続いてしまって、その場を逃げ出したくなる。

尤も障がい者相手に限ったことではないのですが・・・。

どことなく自転車屋のアルバイト時代を思い返す。

 

他の職員さんのように饒舌に接するなんて自分にはやっぱり無理だと思う。

本当に会話がわからない。どう話題を作り、どう返事をするのが正解なのかわからない。

母方の祖父、叔父、父と寡黙が勢ぞろいしていて、特に叔父は母から人間の感情を持ち合わせていない!言われるくらいだから、そういう血を引いているんだと思う。

そんな中にあって、どう「自分らしさ、自分のやり方」を出していくのかという話になるんだろう。

それでも、コミュニケーション能力は要求されてしまうんだろうなぁ・・・。

体験実習三日目

早くも三日目が終わりました。

第一作業所と第二作業所に分かれていて、今回からより重い症状の第一での作業でした。

奇声や叫び声の飛び交う中、「この状況下で一体何が自分に出来るのか」全く見いだせず、可能な限り声掛けは試みるも、利用者の接し方が全然足りていないと、後でダメ出しを受けました。

本当に難しいし、何度理屈を聞いてもわからない。返事を返してくれる人もいれば、特定の人にしか、或いは全く返さない人。わけのわからないことを喋り続ける人。そもそも言葉を殆ど理解できない人等、どうコミュニケーションを取ればいいのか、どう信頼関係を作っていけばいいのかわからない。

それ以前に利用者の名前すら殆どわからないし、なかなか覚えられない。さっきまで覚えていた名前を数十分後には忘れてしまう・・・。

 

皆いとも簡単に慣れで何とかなると言うし、実際そうなんだろうけど、それがいつで、それまで持ちこたえられるのか問われたら、誰にもわからないでしょう。

他の職員さんはいたって自然体に接しているけど、自分はあんな風にはなれないだろうなぁ。僕は寡黙な人間なので、気質が違い過ぎると思う。自分と何が違うんだろうか。

ここでも寡黙は下等で、饒舌が社会性のある優良な人という気がしてきて、冷汗が出るようだ・・・。

明日で最後なわけだけど、どう取っ掛かりを見つけたらいいのだろうか。

 

それにしても我ながら体当たりをしているような気がする。

ロクな説明も無いまま、というより利用者一人一人対応が違うので説明しきれないのが正直なところなんだろうけど、そんな状態にあって手探りで仕事をしているのだから。

日当が出ないのがなぁとぼやきもしたけど、冷静に考えるとお金を貰うような働きは全然出来てないだろうと心の声が聞こえるような。

体験実習二日目

昨日のダメージを引きずっているので、未だに足が痛む。

今日の実習も昨日と同じで、作業の手伝いだった。納期に追われ、職員全員が忙しいので、自分にいろいろ教えている余裕は無いようだった。

本来であれば、「作業の手伝い」ではなく、利用者の管理、指導を担当することになると度々説明を受けた。つまりは利用者全体の頭脳になるような。

 

今朝、いつも自分に一方的にわけのわからない話をしていく利用者がいて、自分も「その人のことを思えば、聞いてあげる方が良いのだろうか」といつも聞き役になっていた。

すると職員の方が、「いつもはそれでいいんだけど、朝礼の時や作業の時は、注意してあげてほしい。結局話を聞いてくれる人の所ばかりにいくことになるし、良い時、悪い時があるというのを教えていかなければならない。でないと作業ができないし、長く続くと立場が逆転して、自分の話をきいてくれるんじゃないのか!と癇癪を起すこともある。だから、その線引きをしっかり教えていかなければいけない」と仰っていて、なるほどなぁと感心した。

 

他にも利用者のトイレ介助の体験なんかもさせてもらいまして、「こういう仕事もあるんだよっていうのを知ってほしい。入ってから、こんな事までやるなんて知らなかったってなったら困るでしょ?」と。ごもっともです。

 

周りを見渡していると、感情のコントロールが苦手なのか、一方的に喋ったり、独り言を絶えず喋っていたり、奇声をあげる人達も少なくない。

どうしても奇怪な目で見てしまう気持ちを隠せないんだけど、よくよく考えたら自分にも似たような特性はあるなと。

特に強いストレスや嫌な事があれば、その場から逃げ出したくなるし、ブログに書き散らす、書かずにはいられない半ば衝動のようなものもあるし、根源的には変わらないのかもしれない。

 

今日一日、自分にとって働くとは、仕事は何なのか?どうして働かなければいけないのだろうか?とか、そんなことばかりを考えていた。

体験就労初日

皆様、お疲れ様です。無事に体験実習の初日を終えてきました。

久々の労働なのでクタクタであります。

障がい者の作業所の仕事でして、主な内容としては利用者への声掛けや作業の手伝いといったところです。

来たタイミングが悪かったのか、納期がギリギリに迫った状態で一日中慌ただしく、ロクな説明も無いままそく実践投入・・・。

それで仕事なんぞ出来るはずも無く、指示待ち状態が続いてしまった。

皆が慌ただしく動く中、「うわぁ・・・何をすればいいのか?聞こうにも、めっちゃ忙しそうだし、職員も現れては消えてしまう」という何とも気まずい環境でした。

 

職員の利用者への接し方を観察していると「はい!さっさとやって!」「サボらない!」「こっちはいいから自分の持ち場へ戻って!」と風当たりが強いように感じたが、信頼関係があってのことだろうか?

実際忙しい中、しょっちゅう動き回ったり、手が止まったりしていたので、そういう言い方になる気持ちもわからなくはないし、寧ろそのくらいでないと動いてくれないのかもしれない。

 

見学の時に感じた、利用者とのコミュニケーションは特に問題は無いように感じた。

そう必要以上に身構えることはないのかもしれない。どういうわけか、同じ人から声を掛けられることが多かった。

ただ、何を伝えたいのか良くわからないので、その辺を理解できて、話し相手になってあげられたらなぁと、そんな事を考えていた。

彼らは一体何を考えているのだろうか?

 

彼らの作業を見ていると、健常者が数秒で出来てしまう作業を何十秒も掛けてやっている。それでいてしょっちゅう手が止まる。

(もちろん一人で問題なく作業出来ている方もいる)

「生産性」で人を判断するのは良くないとは思うけど、あれ程叱咤されてそれでもたまにしか動けない人を見ていると、いろいろと考えさせられてしまうのも確かである・・・。社会参加することに意義がある・・・かぁ。

 

それはともかく、一日何時間も働いて、それを毎日続けていける人は超人なんじゃないかと本気で思った今日この頃・・・。

家に帰って一息ついたらまたすぐに仕事に行かなければならないこの感覚は、何度経験しても憂鬱である。

実際僕はいつだって働くことが辛かったし、大体持って一年である。

仕事を続けていくヒントは労働時間にあるのではないかと思う。

世間体とか金銭面とか課題は多いけどね。

 

とにかくドッと疲れが出た。出た割には電車に乗ると、下校途中の学生らで鬱陶しいからと途中下車して1時間程歩いて帰ってきた。そういう体力はあるのだ!

体験の筈が、納期に間に合わないからと作業の手伝いをしまして、実習時間も7時間ですよ。いくら体験とは言え、これで1円も貰えないというのは、どうでしょう・・・。まあ、それなりには貢献していたとは思うのですが・・・。

 

ああいった集団から解放されて、ようやく「自分に戻れる」何だか一時違う世界へ飛んでいたような、そんな気持ちでした。

この技術を習得できると、人生が幾分豊かになる気がする

最近散歩に出ると落ち葉が目立ってきたり、ひらひら舞っていたり、景色はすっかり冬景色である。

その時に拾ったどんぐりがいいモチーフになるかなと描いてみた。

どんぐりなんて手に取ってみたのは何年振りなんだろうか。

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厳しいかなぁ・・・。前に描いたジャガイモも小惑星の絵みたいになってしまったし。

未だ立体感、質感、影のつけ方がわからず。

 

それにしても散歩に出ると見慣れたはずの風景でも、大なり小なり変化があって、あらゆるものが絵のモチーフになると思う。

〈雑木林が根こそぎ伐採され、住宅街になるという悲しくつまらない出来事も・・・)

例えば木を取ってみても、枝や葉の生え方、大きさや色や形、一つとして同じものは無い。

見るたびにどう描こうか?どう描いたらいいのか?と考えるけど、描ける自信がないと見送ってばかりいる。以前はそんなこと考えたりしていただろうか。

自信がついたらいつかは外に出て描いてみたいものである。

 

絵を描いている時は妙に集中力が出るし(描き始めるまでが重いが・・・)散歩をしていても、ぼんやりと物思いに耽っていたり。

そうしていると自分が何を大切にしたいのか、何となくわかってきた気がするような。

就活がどうのこうのとかいう話はもういい加減終わりにしたい。

そこからは精神をすり減らし、絶望するだけで何も得るものが無い。

 

明日死ぬとしたら何をしますか?

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