前に書いたことを親に話してみても「また偏屈したことを」とか「ニートなんだからわけのわからんことを言ってないで、職を探せ。何を言っても説得力がない」みたいなことを言われた。
例え家族であっても大変失礼なことではなかろうか?
無職であることと、善意に対する不満では相互関係など全くないじゃないか。
恐らくわからない、聞きたくないから「無職」に話をすり替え無理やり「偏屈した考えを持った人間」で終わらせようとしたのだろう。
そんなんじゃ社会ではやっていけないとも言われた。
向こうの言う通り、ポジティブな話では確かにない。でも問題や不満を正直に言うってそんなに悪い事だろうか?
こっちは真剣に、嫌われる覚悟や批判される覚悟を持って、でも間違いなく不満だから、これだけは聞いてほしいから、コミュニケーションの場に立っているんだから、少なくとも聞くべきだろう!
理解してくれはとまでは言わないよ。人それぞれ考え方がある。しかし、何故聞こうとしないんだ。
そのクセ、弟夫妻が如何に上手くいっているかについては話に花を咲かせる!
実に腹立たしい・・・。
変人で片づけてしまうのか。別にそう思われるだけなら構いはしないさ。
対話をしようとする姿勢があるだけでもいいじゃないか。
相手が何を考えているのかわかる。どうしたいのかわかる。
それか、ずっとだんまり決め込む方がいいんだろうか?
言葉や発言を圧殺して、ずっと黙って、不満が積もり積もっていく。
言いたい、けど許されない。聞いてもらえない。
そういう人間が最終的にどういう行動に出るのかお判りでしょう。
「自分がされて嫌な事は、相手にするな」
逆を言えば「自分がされて良かった事は、相手にしろ」
とでもいうことだろうか?
そんな話が如何に荒唐無稽なのか、もっとよく考えるんだ!頭を使え!
そんな話で納得し、終わらせてはダメだ!
誰にも相手にされないので、最早書いてウサを晴らすより他にない。
でも言い続けていきます。