一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

意味のない叱咤激励

一応自分で仕事を見つけて働いている姿勢があったためか(もう挫折してしまったが)、予約が取れたためか、最近はあまり言われなくなりましたが、一昔前は

「つらいのは皆同じ」

「甘えるな」

「努力が足りない」等々言われておりました。

まあ、こういうタイプの人間は大抵の人が言われるのではないでしょうか。

 

こう言われてとにかく嫌なのが叱咤されることよりも、なんら「具体性」がないこと。

「何を」「どのくらい」「どう頑張ればいいのか」については一切語らない。

客観的に見てどうすれば上手くいくかを一緒には考えてはくれない。

口は出すが、そこは自分で考えろ。自分で何とかしろと。

 

思うに相手の事を思って言っているのではなく、単にその人、或いはその状態が気に入らないから言っているのではなかろうか。

 

努力にしたって、「努力として受け入れてもらえる」には複雑奇怪な条件が必要じゃないですか。

「努力をした」それは自分で決める事ではなく、相手とその場のノリみたいなもので気まる。

例え成果を出したとしても、嫌われていたら認めてはくれないかもしれない。

努力はしてみたが、成果は出ないかもしれない。

しかし、それを判断するのもまた人なので、下手したらずっと努力が足りない状態にされてしまうかもしれない。

取り立てて努力したつもりはないが成果が出てしまうかもしれない。

もう古今東西言われてきたことではなかろうか。

 

努力という曖昧な言葉で片づけず、その人を客観的に判断し「何を」「どう」「どのくらい」まで言ってあげる必要があるんじゃないですかね。

人によってどうしても能力の差があるじゃないですか。

なんとかしてあげたいと思うのなら、やはり具体性が必要だ。

 

セガラリーデイトナUSAは頑張ったら頑張っただけの成果がでる。

オンラインランキングの数字が昇っていく。

 

プラモデルも頑張ったら頑張っただけの成果がでる。

作業が上手く、速くなる。綺麗な作品が手に入る。

 

しかし、現実はあまりに有耶無耶としている。

生きづらいよなぁ。しかし理不尽だからこそ、そこに様々なドラマが生まれるのかもしれない。

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