一人舞台

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

逆に何故得られる物がないと思うのか、考えてみよう

現在自分が参加してしまったグループでは、「コミュニケーションを学ぶ」と称して次のようなことをやっている。

自己紹介

全員で参加する簡単なゲーム(これは無くなってほしい)

直近であった出来事を語る1分間スピーチ

BはAに声を掛けたが返事がない。Aの様子もいつもとおかしい。Aの心情を考えろみたいな問題。

複数の人物のイラストがあって、それぞれ何かをしている。

表情、服装、しぐさなどから何を思い、何をしているのか、どういう状況なのか、複数のグループを作り、それぞれで話し合って答えろというもの。

次回には、一人メンバーの名前を覚え、挨拶をするという宿題もある。

 

一体何が学べるというのか。理論的以上には何も学べないと思う。

 

例えば人と会話で相手を楽しませた、怒らせた、悲しませた。

こういう経験ってあるでしょう。逆も然りで、所謂喜怒哀楽があるわけです。

自分に関係する人に何かしら影響を与えた、特に怒哀だった場合、どうしてそうなってしまったのか一生懸命考えると思うんです。

家族、友達、上司、同僚、みな自分に関係のある人だから!

人間関係、コミュニケーションは喜びや、悲しみ、痛みと共に覚えるものだと思う。

良かったこと、嫌だったこと、それが「有無を言わさず」自分に訪れ、時には何故なんだと悩み抜き、答えを模索したり、行動したり、正に自分自身にぶち当たった壁として、それを乗りこえ、次に活かしていくものではないのか!

机の上でこれはこう、あれはこうなどと言っていたって何もわからない。

自分自身の経験でないし、有無を言わさない極地でもない、感情もない。

少なくとも、あのような学校ごっこでは不快にこそなれ、得るもの、学ぶものは自分には何もないと確信する。

 

そこから脱却したかったら、あのメンバーを一つのグループとし、どこかの企業に協力してもらって数か月間働くのがいい。それも接客業だ。

そして、できなければ、わけ隔てなくしっかり指導してもらえる上司についてもらう。

きっとキツいだろう。メンバーがまんべんなくキツくなるのがいい。

そうするとやがて「あれが辛かった」「これが出来なかった」みたいな会話が自然と生まれてくると思う。悩みを話し合うのさ。

それが「こうしてはどうか」みたいな解決方法を話し合うようになる。

こういう辛い極限状態にあってこそ、信頼や連帯が生れるのではないか。

そういう状態で生まれた信頼や友情はきっと大切なものになると思う。

何かしらの理由で疎遠になっても、あの時一緒にいて良かったと思えるかもしれない。

挨拶や雑談で生まれれば苦労はしないし、苦労を伴わなければ、それ程の価値も無いと思う。

万が一!仮にそれが無かったとしても、現実的なリワード!給料がある!これは大きい!

体力と時間を使って、対価を得るということを改めて学べるじゃないか。

それ以外にも「こういう仕事は向いていないな」とか「この部分に関しては良くできた」とか気づくことも多いんじゃないだろうか。

 

いざ自分がやるとなると尻込みしてしまうだろうけれど、それ故に大きなものを得られる経験になるのではないか。

単なる妄想だし、あれはあれで必要としている人、あそこいたい人がいるとも思うが、こう考えていたら、やっぱり自分には必要ないなと感じるのであった・・・。