一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ニートや引きこもりに対する重圧

本にも書いてあったのだけど、ニートや引きこもり当事者にとって、周りから理解が得られないって凄く辛い事だなと思う。

親からしてみれば、何でもいいからさっさと働けと言うが、当時者からしてみればそうできない事情というのがいろいろある。

対人恐怖とか、仕事がどうにも上手くこなせない、長時間拘束されるのがとにかく辛いとか・・・。

一度何かに躓いてしまうと、心理的に大きなブレーキが掛かる。高が一歩がされど一歩になってしまう。

この間のグループでも働いている人、そうでない人も様々な事情を抱えているんだということを断片的にではあるが知った。

 

当の自分はというと、親と同居していたときは、例の如く衝突することも度々あった。

度重なる挫折と必死の訴えで、今は「もうこいつはダメだ・・・!」みたいな感じになってきてとりあえず落ち着いた感はある。

A型就労支援だったかな?来週の月曜日にそれについての説明が聞けるので、金銭的にはキツいが、良さそうだったらそこから始めようかと話したら、「ああもう、それでええやん!」みたいな反応だった。

親は親でいろいろ考えがあるんだろうけれど、こちらにも社会に出て働きだすということが大きな不安や恐怖であったことをわかってほしかった。

話しても理解されないだろう。理解されないからこそ、何がそんなに辛いのか訴えることを話し続けていた。

その甲斐あってなのか、以前ほど重圧を掛けられることも少なくなった気がするし、多少はくみ取ってもらえる気もする。

何にせよだんまりを決め込むのはよくないだろう。意思表示はしていかないと。

「いつまでそうするつもりなんだという激に」きっと多くの人が「そんなに言うのなら、安心して働ける職場を与えてくれ!」と涙ながらに思ったことではないだろうか。

 

未だに然るべき解決方法ってわからないんだけど、結局自分でなんとかするしかないし、周りも口は出すが責任は取らないということだろうか。

理解のある第三者が話に割って入ってくれると良い気がする。

親と当事者だけの閉鎖された関係だとどうしても一歩も譲れず拗れてしまう。

第三者の違った意見は改め直す切っ掛けになるのではないか。

後は例えば不登校だと同情的な意見が多いのに対し、無職だと途端に「甘えだ!」「親が悪い!」「働けや!クズ!」みたいな感じになってしまうのも問題の解決を一層難しくしているような気もする。

 

一先ず待ってみるというのじゃダメかなぁ。

口うるさく催促したって本人は絶対に乗る気になんかならないし、余計な争いの火種にしかならないだろう。

よしんば仕事を始めったって、「うるせぇなぁ!働きゃあいいんだろ!働きゃあ!」みたいな心情というか、衝動から働いたって長続きするかどうか・・・。

だけど、しばらくすると「そろそろ何か行動してみてもいいかな?」と思える時期が来ると思う。(尤も自分はそうやって、よし!働いてみるか!とチャレンジしてその都度挫折しているわけですが・・・)

その時にそっと背中を押してあげれば、双方にとっていい事なんじゃないだろうか。

そういう決意が伴っていれば耐えられる度合いも高くなる気がする。まあ、自分が言っても説得力は無いですが・・・。

 

人生に正解って無いなぁって今更ながらに思う。

他人はいとも簡単にすることが自分にはとても難しく、きっと逆のことだってあるだろう。

他人はこう生きて成功した。だけど自分に通用するのかどうかは全くの別問題。

少なくともここに多少能天気ではあるけれど、悩んだり苦しんだりしてる人が一人はいるわけだから、「深く背負わず気楽にやっていこうぜ」と言えればなぁと。

 

 

 

 

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