一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

自分は思ったより出来なかった

やっぱり参加してみても気持ちは変わらないし、苦痛であってとにかく落ち着かない。

訓練を通して感じたことは、元より特別自信をもっていたわけじゃないけど「やってやれないことはないだろうと」思っていた、だけど考えていたよりずっと出来なかったということだった。接客業でさえ、一年は耐えたんだけど・・・。

初級の頃はいきなり不甲斐ない姿を見せる訳にもいかないから、気張って積極的な参加を心がけてはいたが、誤魔化しは長くは続かない。遅かれ早かれ限界が来る。

好きな事を嫌いなふりはできるが、嫌いな事を好きなふりは出来ないと思う。

 

参加者の皆は最終日なんかは初級がそうであったように、「終わってみてどうだった?」と聞かれ「良い経験ができた」とか「成長できた」とか言うんだろうなぁ。

事実、初級の頃にあった迷いが少し無くなったように感じられる。

自分は全くの逆だ。集団やグループに属することや、そこで自分の役割を見つけていく事に抵抗の無い人であれば、「なんだそのくらい」と感じると思うんだけど、それが全然出来なかった。結局自分の弱さ、出来なささを痛感しただけであった。

まあ、わかってはいたことだし、それはそれでいいんだけど、問題は「こういうことができない、苦痛に感じる」というその情報を活かせる切っ掛けがないことだろうか。

それにどう考えても出来るヤツの方が何かと都合がいいだろうし。

出来ない自分を痛感し、その一方で出来るようになっていく人たちを見ているのは取り残されていくようでつらい。

参加者の一人に対人恐怖症?かなんかで、来る事が非常にストレスで、会社も半日出勤にしてもらっているが、最近はそれも難しくなってきたという人がいた。

それでもあの人はいつも来るんだ。あの人にあって自分に無い物。それは「目的意識」だ。あの人はここに来ることで自分を少しでも変えたいと話していた。

 

思うに中途半端な状態が、迷っている間が一番つらい。

出るなら出る。辞めるなら辞めるとはっきりさせた方がいい加減いいだろう。

でなきゃずっと悩んでいなきゃいけなくなってしまう。

合わない環境、苦痛が差し迫った時、それは果たして耐えるべきなのか、避けるべきなのか・・・。

 

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