一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

嫌なことばかり

朝、いつも母校の小学校の前を通るたびに、体育の授業を行っている。

ハンドボールなのか、ベースボールなのか、ソフトボールなのか、野球なのか、あれを何て呼べばいいのか知らないけれど、見た感じ皆楽しそうにやっているが、自分は死ぬ程嫌いだったなぁ。

そもそも興味が無かったし、未だにルールがわからないし、出来るヤツが仕切ってドヤされるし、後々になってくると「ルールを知っていることが前提」「出来る事が前提」になってしまって、ロクな説明や練習が無いまま、授業全体が適当にグループを作って後はそれをやっといてみたいになってくるんだよ。

これ以外にも数々の大変理不尽で心苦しい思いをして、小中高を通して、本気で体育の授業を恨み続けた学生時代だったように思う。

 

そしてこれも当時でもよく見られた光景だったが、体が弱いのか、体調不良なのかわからないけど、一人や二人いつも遠くで皆の授業を眺める人がいるもんだ。今日もいた。

別に彼らを非難するつもりはないんだけど、自分もどれほどのそのポジションを切望したことか・・・。

 

一見長閑な授業風景に見えて、早いともうあのくらいの年齢から上下関係、陰湿ないじめなんかが横行していたりするんだろうか。前にもニュースで見たことがある。

生きづらい世の中だよなぁ・・・。

 

話は変わり、また数日後に就職支援会社へ行かなければならない。この前休んだから尚更である。

行く事が大変苦痛であることはハッキリしているのに、行ったからと言って、何か良かったことはあるのか?成果はあるのか?と聞かれても、現状何も無いのが悔しいやら悲しいやら・・・。

何をしに行っているのか自分でもわからなくなってくる。

「やらされている感があるから苦痛なのではないか?」と以前職員に指摘されたけど、正しくそうで「主体性」が無いんだよ。

好きな事や、やりたい事ではなく「やるべき事」を見つけることができれば動き出していけそうな予感はあるのだが・・・。

 

今、支援を頼ろうかと考えている皆さん。行けば何とかなる。親身になって話を聞いて、手助けしてくるれるなんていう甘い話はまあ、何処かにはあるかもしれないけど・・・やっぱり無いと思います。

難儀な事だが、仕事の前に支援施設での過ごし方を「努力する」必要があるのだ。

大体人助けなんて割に合わないでしょうし、受動的な人は職員に気に入られない限り、ほっとかれる気がする。

主体性を会得した者のみ次へと進んで、自分の人生を形作っていけるのではないだろうか。

さもなければ「しょうがない」「仕方がない」「きっと必要だから」と妥協、我慢、見て見ぬ振りをし続ける道を歩み続ける事だろう・・・。

ずっと従うか、我慢するかの人生であったけど、もし変えることが出来たとしたら・・・。

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