一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

就労支援って言うと

どんなイメージがありますか?

ずっと腑に堕ちなくて、その理由も未だにはっきりとは言えないですが、就労支援に足りないのは「当事者目線」のような気がします。

 

自分自身がそうですし、また勝手なイメージではありますが、ニートや引きこもりの人って、「働くとは何なのか?何故働かなければいけないのか?」みたいな、どちらかというと「生き方」のようなことで悩む事が多いんじゃないかと思います。

とにかくあらゆる事が嫌で、何だったらできるのかが皆目わからない。

そこに躓かなければ、自ら動いて職を探し続けるでしょうし。

 

どうも就労支援会社にはそういう部分が欠けているような気がする。問いを放ってはいけない、放っても相手にされない、話題にも出ないという空気があるような気がする。

容易には解決できない問題ですし、自分の親の様に「アホな事を言っとらんで働け!」と怒られそうですが、「これ」と向き合うことなくして先には進めない実感があります。

就労支援はそういう問題を見つめる、一緒に考えてもらう、ほぐす過程が無い。

話しただけで解決する問題ではありませんが、「そういう話でも聞いてくれる人がいる」っていう安心感は必要だと思いますし、悩みを整理し、言語化して正確に相手に伝えるという行為から、当事者自身何か気が付くことや、一歩を踏み出すきっかけになるかもしれない。これには多くの時間が必要でしょう。

しかし、自分の通っている所だと、終始向こうのペースで、スタッフと話す時間なんて、一日の振り返りをする5分程度しかない。

自分からグイグイ問いを放っていける人は良いけど、受動的な人だと指示に従うだけの毎日になるんじゃないだろうか。

 

面接の練習ではなく、履歴書の書き方でもなく、ビーズを詰める訓練でもなく、ワード、エクセルの練習でもなく、お茶汲みの訓練でもなく、そういう等身大の悩みを聞いて欲しい!伴走してほしい!

そう思ったりしないでしょうか。

 

はたして就労支援会社の人たちは、出勤の時でも帰りの時でもいいですよ。

「悩みの根源は何なのか?」「彼らが上手く働ける方法とは?」「当事者が変わるべきか?社会が変わるべきか?」「当事者の事を第一に考えるとしたら、何ができるのか?どうするべきなのか?」といった事を日々考え悩んでいるのだろうか?どうにも想像できないのですよ。

悪い意味での仕事意識がないだろうか。

「自分はあくまで組織の一員であり、組織の言うとおりに動き、1日8時間過ごせば良し」と。

なんかの間違いで相談員になってしまったら、一緒になって悩みそうだなぁ・・・。

考える事や悩む事が山ほど出てくるだろう。

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