一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

等身大?曖昧な悩み

相談員になるには?ということで、明日に先んじて少し自分でも調べてみた。

丁度今、相談に乗ってもらっている?中学の同級生の彼が正に相談員で、彼の運営する相談支援事業所というものについて調べてみると、自分の県内でも腐るほど出てくる。

これだけ事業所が乱立しているのなら、どこかに潜り込めるかも?と考えたが、この相談って主に介護や障害関係なんだね。

自分が想定している、ニートや引きこもりが該当しているのか怪しい・・・。

 

件のL社も採用情報があった。

あったんだけど、計画的な個別支援!あなたにあった仕事選び!とにかく就職を目指せ!的な空気に、とてつもなく嫌な気分にさせられる・・・。

やっぱり就職支援会社への就職は嫌である。気持ちを突き動かされる、一風変わった事業所なら別かもしれないけど。

 

或いは自分だけが異常な事を考えているのだろうか?

どうして働かなければいけないのか?そしてそれは企業へ就職することでなければいけないのか?

究極的には無いと一大事になる仕事って限られる。大半は無くても構わないはずだ。

そこに就くのが自分である必要は全くない。でもやらなければならない。

あらゆる事が嫌で、何だったらそうでないのかわからない。何ができるのかわからない。

人付き合いが苦手だ、集団にいると自分が無くなってしまうように感じる。

どうしてよくわからないこと、必要性が感じられないこと、合理的に欠けることに従わなければならないのか?

どうして皆に合わせなければならないのか?同じことを同じようにしなければならないのか。合わせることに疑問を持たない人もいれば、苦痛に感じる人もいるのに。

何故こんなにも生きづらいのか?

 

子供の頃からずっとそんな風に考えてきて、落ちこぼれ街道まっしぐらだったんだけど、そういう風に考えるのは自分だけなんだろうか?

周りにいる人は、内心はわからないけど口では一言もそういう問いが出てこない。

そういう問いにがんじがらめになっている人なんて、見たことがない。

 

自分が相談員になりたい背景は、本当は「人の役に立ちたい」ではなく、当事者の場に自分を晒し、その人たちの話にひたすら耳を傾け、「問いを突き詰めていきたい、一緒になって考えてみたい」そういう気持ちの方がずっと強いからだと最近思うようになってきた。

その問いが自分だけなのか、他の人も悩むのか?悩むのだったら自分とどう違うのか?

その人たちは自分に何を話すのか?問うのか?

それらに対し、自分はどう答えるのか?

それを知りたいからかもしれない。

 

皆そんな意味不明な話より、仕事だ!就職だ!なんだろうか?

自分としては、安心して問える場所がいくら探しても無かったので、随分途方にくれたのだが・・・。

 

これではおおよそ仕事とは呼べないだろうし、一般的な「支援・相談」からかけ離れているし、応募する動機がこれでは採用なんてされないだろうなぁ。

心意気を買ってくれる奇特な人もいないだろうしなぁ・・・。

 

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