一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

どちらを選択しても、生きづらさに違いはないんじゃないか

確かにADHDの傾向はあるが、それは障がいというより「強い特性」と考える方が適切だ。だけど手帳を持ち、障がい者枠で働くことで君が生きやすくなるのなら、3級なら申請できるけど、どうする?

という話が主治医から出たのが2年前になる。

その時は持っていても損はないかと思って申請し、現在に至るのだけど、いろいろ考えてみるとどっちに転んでも生きづらくなるような気しかしない。

 

パッと見た感じでは至って普通であるし、真面目な人と評されることも多い。

だけど一度仕事に向かうと、不注意や集中力不足に悩まされ、「何度同じことを言わせれば!」「入って数週間の新人ではないのだからいい加減にしてくれ!」と、ほぼ毎日何かしらの事で怒られてばかりいた。

 

といって障がい者枠で働くと、きっと訝し気な目で見られるんじゃないだろうか?

直接言われたわけではないけど、実際弟からはいろいろ辛辣なことを言われていたそうな・・・。

ああ、これが世間の、普通の人の反応かぁ・・・と随分肩を落としたものでした。

 

体験就労の時にも利用者とのコミュニケーションについて苦手意識があると言われつつも、それ以外は真面目で信頼できそうな人だったと言われていたことを後で知った。

しかし、それが怖い。後はそこからどんどん落ちていくだけだから。

 

わかりやすさ故か、世の中何でも白か黒かで決めがちですが、一個人にあった働き方を探してくれる場所はないものかと常々思います。

ネットの記事やコメント欄なんかを呼んでいると、自分の働くと世の中の働くとでは認識に大きな差があると実感します。

 

挫折体験ばかりで、もう何を見ても自分には務まらなさそうに見えますし、どうも社会というのは集団生活や労働から転げ落ちてしまうと一気に孤立して、生きづらくなっていくように思えてなりません。

躓いてしまうと人会うのが億劫になりますし、事情を説明しても大なり小なり否定という形になりますから、益々人と会うのが嫌になる。結果、更に復帰への道が遠くなるという悪循環。

就労支援事業を頼るにあたって生活相談支援員という方がついてきて、当初は若干の羨望もあって、これが今後のいい刺激になるだろうか?とも考えておりましたが、今となっては相談といっても別に心の悩みを聞いてくれるわけでも、特別理解があるわけでもなく、定期的に近状報告をしなければならないという負担だけが残ってしまった。

一体何を報告しろというのか・・・。どうしてこうなってしまったのか。

何だってすることなすこと悪い方ばかりへ行ってしまうのだろうか。

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