一人舞台

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

就労支援は誰に対するもの?

ギターや絵、漢字や英語の勉強の方がよっぽど自分の成長を実感できるなぁ、コツコツ継続して高みを目指さねば!と、そんなことをやっているうちに就労支援デイケアの事をすっかり忘れていた。

結局LITALICOから場所が変わっただけで、内容に大した変化も刺激もないし、何より朝起きるのが大変つらい。

目覚ましを掛けなくとも9時30分頃には自然と起きる生活リズムで、デイケアに行くとなると2時間以上早く起きなくてはならない。

前日に今度こそ行くぞ!と決意しても、朝のダルさの前では全てがどうでもよくなってしまう・・・。

何か「行かなければ!」と思える動機があればいいのだが、朗報も刺激も気づきも発見も、不思議なくらい無いのである。

 

これまでWillは助動詞で、推量(~をするつもりだ)程度にしか理解していなかった。

それがある本を読んだとき「それは違う!真相は話し手の強い意志がある」という解説があって、その後えいご漬けをやったときに「ああ!だからお願いにもなるし、~する!という意味にもなるのか!」という発見があったんだけど、そういうのが無いんだ。話を聞いて、これ書いて~これ作って~と、だから退屈極まるのだ。

 

思えば就労支援なんぞを頼っている時点で高が知れるのである。

一般社会に挫折した奴が、ああいう場所に来るべくして来るのである!

顔つき、話し方、服装、態度、見ていればわかる!

こういう連中は「専用の仕事」でも作ってあげない限り、働くことを継続なんて出来ないと思います。出来ませんでした!

前に工場で働いていた時に、給料減額されてもいいから、この品番だけの仕事(もしくは似たような仕事)になればいいのにと思っていたが、そんな感じである。

 

自分は中学卒業間近、学業成績のあまりの悪さに高校に進学出来るのか?みたいな話が家族やクラスの間で漂い始めていた。

しかしそれでも担任曰く「あそこだったら行ける!男子校で校則がうるさいけど君なら大丈夫だろう。推薦したるわ!」というような感じで、電車を乗り継ぎ片道2時間近くかかる、工業高校への進学が決まった。

こういう推薦システムが無いのがいかん!とある本にも書いてあったが、コネで上手くいくパターンが少なくないというのだ。

ダメ人間前提でいけば、なんとかなるかもしれないじゃないですか。

全く期待されてないだけあって、それで出来るようになったら、成長の実感も喜ばれ方も相対的に大きくなるじゃないですか。皆ハッピーですよ。

やっぱり最後に救えるのは人情ですよ。

働く強い意志がある人なら、自分で見つけるだろうし、こうなるといよいよ就労支援が誰を想定したものなのかわからなくなってくる。

 

本当にどうして生きることは、働くことでないといけないのだろうか・・・。