一人舞台

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

労働と生きる価値

自分の事で言えばニート、引きこもり関係。それ以外にも怪我、病気、精神的な事情、障害などで働けない人、或いは働かない人(自分はこっちよりだなぁ・・・)っているわけじゃないですか。

当然そのまま燻っていてはいけないとされているわけですよ。金銭的な事情もあるでしょうし。

そこで「社会復帰」を目指さなければならない。では、「社会復帰」とはなんなのか?それ即ち労働じゃないですか。

 

家事手伝いではダメ。単に何らかのコミュニティに属しているだけなのもダメ。ボランティアも長期的にはダメ。何故か。金を稼いでいないからです。金を稼いでいないと人として認められないと実感しております。

金を稼がないと自立に繋がらない。脛をかじるだの税金泥棒だの言われてしまいますし、助けを受けることはあっても、助けを与えることは殆どないのではないかと思います。

現に自分としても誰かを助けているのか?誰かの役に立っているのか?と問われれば、家族の荷物の受け取りと親が仕事で使う書類の作成くらいにしか役に立っておりませぬ・・・。社会的にはお荷物である。

 

社会って労働で回っているじゃないですか。自分がする事成す事でさえ、誰かの労働の恩恵を受けとるわけですよ。そこに参加しない、できればしたくない、できない生産性の無い人間は生きる価値があるのだろうか、社会復帰とは労働でなければならないのか、でも労働じゃないとしたら金は生活はどうするのか?

働くことが、そういう形での社会参加、コミュニティを形成していくことが人間らしさだとしたら、それに属さない人はなんなのか?ということを最近考えてしまいます。