一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

不用品を金に換える ハードオフ出張買取編

以前出張買取を頼みたいと書いたんだけど、オタク趣味でなんか思われるのが、知らない人の対応をしなければならないのに抵抗があると諦めた。

しかし、売れば幾らかお金になる物を捨てるのはどうか!?とやっぱり思ったので、幾つか残った物を買い取りに出してみた。

言わずと知れたハードオフ。近所にもあって二階にホビーオフもあるので便利である。

 

その結果

31100円になった!!

いや~びっくりした!正直1万も行けばいい方かな・・・とあまり期待していなかったのだ。

売った物は

スピーカー

スピーカースタンド

ゲームのコントローラー各種

モデルガン15丁

レコードプレーヤー

他細々としたもの

特にモデルガンが結構高値で売れた。

金属製の装飾が入ったやつなんですが、1丁4、5000円くらいの値が付いた。

危うく本当に捨てるところだった・・・。思いなおして良かった!

 

これは先に捨ててしまったデザートイーグル バイオハザードモデル3丁も痛みがあったとはいえ、それなりに値が付いたのではなかったろうか・・・。

さらに未組み立てのプラモデルも売っていたら、5、6万くらいいった可能性が・・・。

本当に自分はバカな男です。

これから何か買う時には、箱や付属品を可能な限り取っておいて、売ることを念頭にいれよう。そうすれば買うことに不安を感じることも少なくなるだろう。

 

しかし予想以上の値がついて驚きましたが、よくよく明細を見るとやっぱり単価は随分安い・・・。買った価格の4分の1以下くらいである。

特にゲーム関連は渋い・・・。一つ数百円にしかならなかった。当時革新的だった互換機のRETRON5なんか2万近くで買ったのになぁ。

電話で聞いた時も「あ~互換機はねぇ、数百円くらいでしか買い取れない」って言ってましたしね。

やはり得体の知れない物は売れないのだろうか。

今回の結果を受け、高く売って「儲けたい」のか、「処分したい」のか、どちらを優先するのか決めておかないとダメですね。

 

今後はスポーツタイプの自転車2台、漫画とゲームソフトを駿河屋の安心買取を利用しようと考えているので、結果が出次第更新しようと思います。

 

ミニ四駆のコースを買いなおすか悩む・・・。親はああ言うけど、シンプル(そう)な見た目に反して結構面白かったんだよね。

 

当座趣味が生きる目的になる

ニートの癖に!無職の癖に!脛をかじっている癖に!」そう罵倒されようとも趣味は自分にとって必要な事である気がしてきた。

居場所も、行く場所も、他人に何か一つでも認めてもらえる能力も、恋人や交友関係も、話さにさえじっくり耳を傾けてくれる人が無い自分であるから、これ以上失ってどうする。

自分の趣味など高等なものではなく、簡単にプラモでも作るか、ゲームでもやるか、精々が収集止まりある。ちょっと背伸びしてギターの演奏とか絵を描くとか言いたいけど、「好きです。趣味にしています」っていうレベルじゃないなぁ・・・。

どちらも「わからん!できねぇ!」と苦しみながらも、「いつかきっと!」とコツコツと続ける。そんな感じである。

 

他人に広く理解されるようなものでも、認められるものでも、自分を高めてくれるものでもない。だけど例えそんなものでも、ある人にとっては、当座趣味が生きる目的になるような気がする。

アニメとか、漫画とか、ゲームとか、ライブとか、何でもいいんですけど、そういうものがあると「もう少しだけ生きていこう」と、そんな気持ちになりませんかね。

深く考えれば幻想みたいなものかもしれない。自分で自分に価値を付けることはできないから。

だけど繰り返しますが、ある人にとって当座の間生きていくためには、そんなものでも必要に思えてならない。

 

情けない話ですが、だから怒りに任せて「こんなもの!」と捨てたことを今になって半分後悔している。(もう半分は実際処分したかった)

いい歳して小学生の如くお金を貯め、無駄遣いを控え、デイケア模型店への交通費さえケチって数時間かけて歩いていき、度重なる延期にも耐え、「待てば何とかなる!」の精神で(実際不思議なくらい待てばなんとかなってきた)ようやく手にしたのではなかったのか!?

なんだか自分の一部分が欠けてしまったかのような喪失感を覚えた。

ですから、自分のようにバカにされたとか、否定されたとか言って、無謀な行動に出ることの無いよう、一旦考える時間を置くようにすることを願います・・・。

怒りは理性を失わせ、後で後悔の波が襲い掛かってきます。

 

それにしても怒りや負の感情が湧いた時、たった一人でもじっくりと話を聞いてくれる人がいれば、凶行には及ばないんじゃないかなぁと。

 

 

 

 

 

 

悩みはあるのか?

今日母と喫茶店に行ったときに言われたのが

「あんた悩みあるの?遊んでいるようにしか見えんのだけど」

もう今となっては不快も怒りさえも湧いてこない。というか「ああ、そういうことか」と納得してしまったくらいである。

確かに一概に否定できない部分があるし(とはいえ趣味さえも無かったら、それこそ塞ぎ込んで毎日暗澹な時を過ごすのではないだろうか)、悩みを打ち明けることも早々にやめてしまった。

心の問題などのデリケートな悩みを相談するのに、家族ほど不適切な人もいないと思いますがどうでしょう。否定できるなら幸せです。

親にしろ弟にしろ、全部「話さなければ良かった!」と激しく後悔する結果で終わっています。

 

自分と似たような境遇の人が、何人見てくれているのかはわかりませんが、親との関係があまり上手くいっていないのなら聞いてみて欲しい。

多分自分と同じようなことを言われるだろうから。

生活させてもらっていることに対する対価

生活させてもらっていることが負い目となり、何も言えず耐えるしかなくなる

ちょっとしつこいようですが、自分にとっては軽視できることでもないので、少し書いてみよかと。

これまでもあった、親からの皮肉、嫌味、差別的な発言。そして先日の出来事。

しかし、考えれば考えるほど、そう言われても仕方がない原因が自分にあることを認めざるを得ない。

実際、向こうは働いていますし、家賃や生活費を負担してもらっているわけですから、その負担は軽いものではない・・・。

そんな折、いつまでも働かず、就労支援デイケアに通っている(再開が更に延期になりましたが・・・)のに一向に吉報が無い。たまに帰ってきたら、趣味に明け暮れとる・・・と。

向こうの立場で考えたら、そりゃあ皮肉の一つも言いたくなるよなぁと思います。

 

しかしですね、一当事者の立場から言うと、毎日「不安という暗闇の中」何を、どうすればいいのかわからず、動き出せない状態なんですよね。

何をするにも不安で仕方がなく、未知が、環境の変化が恐ろしくてしょうがない。

おまけにこういった悩みを持って行く場所が無く、自分で抱え込むしかない。

交友関係も無く、現状八方塞がりで、趣味くらいしか楽しみが、逃避場所がないのである。(まあ、それも最近怪しいですが・・・)

目指すべきは「経済的自立」しかしある人にとって、これのなんと難しいことか・・・。

探せば、選ばなければある。なんらかの仕事に就けば解決・・・とはいかず、能力、もっと言えば、「人と人との関係性」じゃないですか仕事って。仕事さえ無ければ「どこにでもいる、ごく普通の人間なのに・・・」と。

ここに躓く人も多いのではないかと思っています。

さらにここ最近のコロナ騒ぎで、経済状況の悪化や「自己責任論の強化」など、ますます社会に出ていくことに腰が重くなるなようなことばかりが続いています。

「自己責任」この言葉を見る度に胸が苦しくなる。

そう言われている人たちだって、これまでも今も一生懸命やってきたはずでしょ?働くって基本辛く苦しい事ですよ。更に個々の得意不得意、何が出来て、何に苦痛を感じるのかは違うわけですよ。なのに「選ばなければ仕事はある!だから困窮するのは甘えだ!自己責任だ!」

それでいいのか・・・!人を必要以上に追い込み過ぎるのではないのか。

 

親からの嫌味は、「生活させてもらっていることに対する対価」みたいに考え、黙っておくのが最善でしょうかね・・・。

 

金の使い道

あの腹いせの一件から冷静になってみると「買って間もない物まで処分するとは、バカなことをしたかなぁ・・・もう手に入れるの難しいぞアレ・・・」と若干反省している。とはいえ、昔から感情的になると判断できなくなる。

それと同時に以前から捨てたかった物もあったのでついでにと、ここ最近は片付けばかりしている。

ゲーム、CD、本、プラモデル、未組み立てのプラモデル、トランスフォーマー、モデルガン、細々とした電化製品等々、現時点でゴミ袋10袋分くらいは処分しただろうか。

物置と化した机まで解体、処分したので部屋から押し入れまで、随分開放的になった。

ああ、「この部屋を片付けてミニ四駆のコースを置こう」とか、考えていたことを思い出した・・・。

本来であれば買取に出したいところだったけど、量が多すぎるし、出張買取を頼もうかと思ったけど、見知らぬ人が家に来て対応しなければならないのがどうにも抵抗があったので、「もういいや、片付かん!捨ててしまえ」で今に至る。

 

それにしてもなんと無駄な金使いをしたことだろうと思う。

捨てた物の8割くらいはロクに使いもせず、触りもせず箱や段ボールに収納したままであった。特にモデルガン関係は使い道が全くない・・・。

今はこんなんですけど、働きだしたのは19の頃からだったので、その時から収集していたのである。

他に金を使ってしたい事も無いし、恋人も友人もいない。なんとなく稼いだ金は、なんとなく使ってしまうのだろうか。

使ったその瞬間は確かにある種の快感の様なものがあるんだけど、長続きはしない。よって更に刺激を求めて・・・こんな感じだろうか。

それ以外にも、実際に手に取ってみないと気に入るのか、長く使うに値するのか判別が難しいこともあるでしょう。

 

お金って、自分の時間や体力、ストレス等を引き換えに得る物じゃないですか。

異論はあるでしょうが、金を得られればこそ、あんなことに従事するのである。

ならば「重み」があって然るはず。なのにこの使い方はなんであろうか・・・。

改めて考えると、金の使い方は難しい。自分にとっての「正しい使い道」ってなんなのだろうか。

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