一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

更に描くこと3人

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上手いかどうか、モデルと似ているのかどうかはともかく、描き続けた結果「顔を描くことに抵抗がなくなりつつある」ことは大きい。

以前は歪んで描き直して、歪んで描き直して、次第に訳がわからなくなり・・・って感じだったもんなぁ。

紙と鉛筆だけで楽しめるようになったら、いろいろ表現できるようになったら・・・これは素晴らしい事ですよ。世界が広がりますよ。

いつかは色鉛筆でカラーで描いてみたいものですが、あれは恐ろしく淡い色しか付かず、描き方が、進め方が難しいんだよなぁ・・・。

 

それにしてもいよいよノートパソコンが調子が悪くなってきた。

スライド式スイッチが劣化しているのか、20、30回くらいガチャガチャやらないと電源が入らなくなってしまった。

もう電源を切ると二度と起動できないのではないかと恐ろしくて、電源が切れないですよ・・・。

 

ゲーム離れ

本来ゲームなんていうのは、引きこもりと相性が良いというか、初期投資さえ済めばものによっては中古数百円でゲームを楽しめる優れた趣味だと思うのですが、ここ何年か前から何をやっていても途中で飽きちゃうというか、力尽きる・・・。

子供の頃は「新型のゲーム機」なんていうと目を輝かせて、友達の話や雑誌にくぎ付けになっていたものですが(特にゲームキューブ)、PS5の情報を見ても、全く情熱が湧かない。

思えばPS4を買った時も純粋なPS4のゲームと言えるのは、Dirtシリーズとダークソウル3しかなく、後は過去のゲームの移植ばかりが占めて、もう長い事新作を買っていない。(まあ、お金が無いですが)

おまけにスティックの調子が悪く、勝手に動く!部品を交換しても治らなかったので、回路に問題がある・・・?

 

それでもほんのたまにやりたくなる、楽しめる時もあるのでゲームそのものに飽きたわけではない・・・はず。

(別の要因としては高難易度、特に昔の縦、横スクロールのシューティングゲームや激ムズなラリーゲーばかりをやっていて、これらは自分の実力が伴わなければどうしようもなく、飽きる、力尽きるということが挙げられる。いや、ホントにクリアできない。させてくれない

 

思うにやっぱりゲームを通じたコミュニケーションが無くなったことが一番の要因なんだと思う。

学校は卒業したし、遊び相手だった弟はとうの昔に独立したし、今無職だし、なんらかの集まりに参加しているわけでもない。

言えば会ってくれる友人が一人だけいるけど、彼とはスマブラ以外で遊ぶのは(自分の感性の観点からも)難しそうだ。

この時点で対戦、協力プレイゲームは壊滅ですよ。ネットを使えばいいんですけど、顔もどこの誰かも知らない人とプレイするのはどうもにも好かない・・・。

 

今はそういう時代でもないでしょうが、ゲームの話、先へ進んだとか隠し、攻略、新作の情報なんかで学校で盛り上がった経験って大抵の人にはあるでしょう。まあ、ゲームでなくてもいいんですけど。

ゲームで経験した、成功したクリアした喜び、バグやミスの珍プレー、カッコいい曲や演出、対戦協力プレイなどが全部自分の中だけで完結してしまうのはあまりに味気ない。

よくよく考えると、ゲームそのものよりそこから展開する他人との共有、コミュニケーションを楽しんでいたんだと思う。

引きこもり続ける人は何を考えているのだろうか

自分の場合、「さしあたり平穏無事なのだから、これでいいじゃないか」と居直ることも「このままではいけない!手に職を!」ともできない中途半端な位置にいる。

損をしてでも真面目を貫き通す信念と覚悟も無く、といって無頼漢になれるほどの強さも無い様な。

 

自分自身の未来を思い描いては暗澹たる気分になり、ネットニュースを通じてそっと社会を見てみても、暗い話ばかりで同じ気分になる。

社会に出ても、というか働きだしても自分なんかやっていけないのではないか。これまでできなかったじゃないか。

仕事についていけるのか、人間関係は大丈夫なのか、もし遠方になったら通勤のストレスは、解決策として一人暮らしをしたとして、やっていけるのか?隣人にヤバいやつがいたら?怪我や病気や老後はどうすれば?と考えだすとキリがない。

今起こっている事ではないし、これから起こるのかどうかもわからない。案外あっけなく死んでしまうかもしれないのだし。

だけどそう考えている時って、妙にリアルに感じられて起こるような気がしてならない。そして対処方は知らないし、機知があるのかも、助けてくれる人がいるのかも怪しい。

逆を言えば、良い事が起こることだって十分にあり得るじゃないですか。そう全部が全部悪い方向に行くとも考えにくいと。しかし、過去の嫌な、挫折体験がしっかり下支えしていたり、認知の歪みに入りかけていると全く希望的観測ができなくなる。いや、ホントにできないです。

ですから、当事者にとっては「働くとか働かないとか」「言っても働けばなんとかなるだろ」とか「やってみなければわからない」とかの脳筋的な問題ではないと個人的に思うんですよね。

あるのは不安と恐怖だと。

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自分にも良き理解者、相談役がいてくれて、高校進学の時の様な「この学校は学力が低レベルでも入れる。ヤンキーが多い印象があり、故に校則が厳しい。でも君は真面目だからここなら上手くいくだろう」と道を作ってくれる機会がないものだろうか。

そのおかげかどうか絶望的だった中学三年間程問題は無く、卒業も出来た。(実際にはヤンキーよりもオタクが多い印象だった)

電車を二本乗り継いで1時間半近く。それを毎日通っていたのだから、今にして思えばよくできたなと。

 

やっぱり「働けば」なんてところに帰結させて本人だけに問題を背負わせても、解決できないと思うんですよね。そもそも動き出すことすら難しいでしょうし。その背後に何があるのかを見なければ。そういったものを明らかにしてくれる「場」がなければ。

 

働かないと「生きていけない」世の中が変わってくれないものか・・・。何故賃労働でなければならないのか・・・。

 

火星最接近

ここ最近火星が見えるようになって、望遠鏡で覗くとなんとなく黒い模様まで見えるわけですよ。こんなに良く見えるものだったかなと。

で、さっきYahoo!ニュースを見てたら6日に最接近と書いてあるじゃありませんか。

「望遠鏡を使えば、かつて運河と間違えられた黒い模様も見えそうだ。」とあって、正にそれを見ていたという事か!

もっと大きい望遠鏡なら極の氷まで見られるのだろうか。それにしても写真に収めてみたいものである。

とにかく描くべし

数を重ねれば上手くなる・・・と信じて描き続けている。

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形を取るのもそうなんですが、「光と影」これの表現が非常に難しい。

それに加え、描き続けて思ったのですが「モデルに似せる」これもまた難しい。

結構細かく観察して描いているつもりなんですが、返ってそれがいけないのか、だんだんバランスが崩れてくるんですね。

ともかく、消しゴムで修正が殆どなくなったのは上達というか、迷いが無くなったとみてよいのだろうか。

昔はとにかく描けん!描けん!と消してばかりで、紙がボロボロになって挫折なんて感じでしたから。

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