一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

何か偉い者にでもなったかのように

「さしあたり」上手くいっている人間が、上手くいっていない孤独で弱っている人間に対してやれ、「そのままでいいと思っているのか!」とか「甘えじゃないのか!」とか「お前の為を思って!」とか言うんですよ。

口答えするやいなや「ふ~ん、そういうこと言うんだ!」と。
お宅はそんな偉そうで心無い人間になってくれるな・・・。
連鎖するから(´-ω-`)

ひきこもりのつらいところ

ひきこもりはこういうところがつらい

 

ひきこもりのつらさは学校に行っていない、働いていない、その事「のみ」が問題とされ、その背後にある心理的なことや環境は全く考慮されないか、甘えや怠慢としてバッサリ切り捨てられることにあるように思う。

その時に意識されるのは「問題という事物」であり、そこに自分は存在しないのだ。

孫と老婆

この時期外を出歩くと、まだ学校は休みなのか公園で遊ぶ子供が多い。

その多くは親はもう仕事なのか、祖父母が面倒を見ていることがほとんどのようだ。

その中に一組の少年と婆さんがいて、少年がサッカーボールを持ちながら「ばあばキーパーってできる?」って聞いているんだよ。

その後も「ばあばのシュートは遅いんだよなぁ・・・」とか話していて、婆さんの返事は「はぁ」とか「へぇ」とかそんな感じなんだ。

いやいや、老婆一人に「その遊び」の相手はきつ過ぎるでしょうと思わずにはいられない。エネルギーの塊の様な遊び盛りの孫の相手を老婆一人で請け負うなど、過ぎた話なのだ・・・。

 

思えば数日前に祖母が「子供が可愛いなんて、最初だけでしょ」なんて洩らしていて、幾ら自分の子供や孫とは言え、「いつもいつでも」可愛いわけじゃないんだなぁと思う。

そして自分にもああいう時期があったことを思い出しながら、「子供って時に残酷だなぁ」とそんな感じがいたします。

 

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