一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

若者サポートステーションの説明を受けてきた

どうせ就労準備支援の紹介しかされないのではないか?と、はなから期待していなかったし、確かに出た。でもそれよりも思いの外話を聞いてくれて、やっと「そういう事情ならそれに合った仕事を探しましょうか。いきなり働きましょうではリスクがあるから見学や体験ができる所を探してみます」との声が出た。24日また面談をしてその辺りを煮詰めていく予定。

どうしても抵抗があったり難しかったりであれば、A型作業所という選択肢もあるとのこと。それってどうなんだろうなぁ。

なんにせよ、これこそ支援でしょ。準備だけやって「おっしゃー!自信ついた!やる気に満ちてきた!さあ仕事をくれ!」とかなればいいですけど、ありえないでしょ。

今までいろんな所で訴えて、「そのように進めていきましょう」と言ってそれっきりだった。

家族の、息子の、兄の自分という定義でいるのがもう嫌なので、これをきっかけに継続した就労に繋げ、1人で生きていく力を身につけ、家族とも距離をおきたい。独立した、何ものでもない自分になりたい。これが当座の目標。そこまで行ければ後は死ぬくらいしか残らないだろうし、それでいい。

恥を忍んで知能検査の結果まで出したのだ。上手くいってほしい。

因みに某就労支援会社に通って挫折した話を出したら「あ・・・」と渋い顔をしたけど、あまり評判が良くない・・・?

 

それにしても金が無い。今の手持ちが2000円ですよ。31歳ですよ。身から出た錆とはいえ、こういう劣等感とも戦っていかなければならない。

 

 

精神がやられる

どこへも行く当てがない。事情を知ったうえで受け入れてくれる場所も無いのではないか。学生時代、体育の授業が恐ろしくて本当に嫌だったが、就労もそんな感じである。

今日一般の人でさえ苦労しているのに、自分のような人間が上手くやっていけるなんてありえるのだろうか?ひきこもるつらさが、働くつらさに切り替わるだけで根本的な解決は不可能な気がしてならない。

10月上旬くらいにはと言っていた就労支援デイケアは問い合わせても未だに3人のメンバーさえ揃わず、いつできるかは未定。まさか単に人が集まるのを待っているだけなのでは・・・。

明日説明を聞きに行く若者サポートステーションもこれまで受けて見限った就労「準備」支援となんら変わることはないだろう。だって、仕事の紹介はしないと明言しているのだから。

親からも社会からも厄介者として生きねばならないのか。

こうした大きな問題を抱えて、その解決方法やどうしたら引き受けられる程度に抑えられるのかがわからないと、ずっと鬱屈した状態が続く。何をしていてもそれがもたげてくるから終日無気力である。これでは精神がやられる。

飲酒を嗜んでいたらそれに溺れていたかもしれない。とにかく気を紛らわせたい。背負い続けるのが苦しく、考えないようにしたい。

自分に落ち度があることは認めた上で、何故矛先が当事者ばかりに向くのか。

頼りない支援やそこに税金が流れることこそ批判されるべきではないのか。でないと変わらない。

 

消防学校の校内放送

消防学校の側を通ると校内放送が流れて、慣れない学生がやっているのか幾分緊張した声で「今晩のお風呂の時間は・・・」とか「あ、え~と・・・」とか流れてくる。なんだか微笑ましくて笑ってしまった。多分皆「入浴時間」って言うよなぁ。

入浴があるってことはやっぱり全寮制なのか。引き受けられるのならああいった集団生活も思い出深いものになるのかな。

訓練の様子を見ていると女性でも放水の訓練をやっているわけで、逞しいなぁとか、自分には無理だろうなぁとか思いつつ、人の役に立てる人間にならなきゃダメだろうか?何事かの価値や能力を証明しなければダメだろうか?とか、そんなことを考えてしまう。

社会に適応できない人同士で生きて・・・いけるのか?

社会に適応できない人同士で生きていこう!コミュニティを作ろう!みたいな話は昔からあるけど、どうなんかなぁ。

3、4人くらいならいいけど、長く続き、人数が増えるにしたがって派閥やルール、権力構造が生まれるのではなかろうか。

社会を嫌って流れ着いたのに、いつの間にか社会になっていたじゃないか!と。共同体を維持できる戦力に貧しそうだし、長続きしない気がするなぁ。

時に必要であることは否定しがたいけど、自分は集団生活やコミュニティと名の付くものは嫌いである。

 

ひきこもりは子供じみている・・・?

最近何をやってもどんよりとした気分になって楽しめない。いや、楽しめなくてもいい「気を紛らわせられれば」だけどそれさえ難しくなってきたように思う。

「こんなことしてては」とか、「すべきことをやっていないのに楽しむ資格はないとか」とか、「こういう姿こそ親は嫌うだろう」とか、沸々と湧いてきてダメだ。下腹部がどんよりする。

そこでひきこもり関連の本でも読み返していると、ひきこもる人は精神的な、内面の発達?が未熟なのでは?と思うことがある。

集団生活に馴染めないこととか、自発的な意志を持ちにくいとか。実態は勿論知らないけど家庭内暴力の話は特に子供じみて感じる。

 

では自分はどうか。知能検査ではやはり発達が遅れていると書かれているし、親には正に精神が高校生レベルとか言われるし、バイト時代店長にもそれとなく指摘されたり、何より同年代と比べて自分でも未熟だと意識することが少なくない。

これは社会経験からくることだろうか?社会経験があってずっとこうなのだかろ、そういう特性なんだろうか?

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