一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

ひきこもり悪循環システム

我ながらひきこもり悪循環システムは上手くできていると思う。

親が生活費を出すので直ちに働く必要はない。

一旦ひきこもり状態に突入すると、みっともないやら情けないやらで人と会うことが難しくなる。

人と会わないと自分の中の肯定感や自信、社会性が育たないばかりかどんどん下がる。実際の自分の能力と主観的な自分の認識とが大きくずれてくる。

この間常に親から叱責が飛んでくるので、自信や意欲は地にまで落ちる。

欲の面も金のない生活にすっかり慣れて、欲しいという感情がほぼ無くなる。

この状態が辛くて社会に出ようと思っても、もはや外の世界が未知すぎて恐ろしくて尻込みしてしまう。

親が幾ら叱責しても、当事者が動かないのはここにあるのではないか。

早期解決が望ましいのだろうけど、元々社会に適合できない要素のある人だとそれも難しい。

 

であるなら支援を頼ることになるのだけど、それがかなり頼りないことは何度も書いたし、経験したことである。まあ、優秀な所もあると思いたいですが。

だって、ひきこもりを支援しても儲からないじゃん。金にならないのなら意欲は出ないし、生活だって危うい。誰が好き好んでそんなことをするのか。

結果、国から補助金をチューチュー吸う怪しげな支援や、高額な料金をせしめて当事者を拉致する貧困ビジネスが繁茂しているではないか。

仮に採用まで漕ぎ着けたとしても、働くことが素晴らしいのかは皆さんご存じでしょう。ひきこもるより、働く方がずっと良いよね!っていう価値を形成できなかったことが致命的な気がする。

もういっそ、働くことよりも生き残ることを考えていった方が、幸せになれるのではないだろうか・・・。

パソコンを買い替えたい

タスクマネージャーを見るとCPU使用率が100%になるんですよ。

CPUが「celeron847 1.10GHz」で、パソコンには詳しくないのだけど見たら誰もがクソ性能と言うところだと思う。低性能低価格らしいので。

このブログを書く時も文字が遅れて表示されて非常にストレスなのだけど、パソコンなんて買えるのはいつになるのかわからない。就職の段取りを決めるどころか、サポステとの面談の段階だしね。

そこでメモリを増設して延命できないか?と思っているのだけど6GBを8GBにして効果ありますかね?

そのメモリも3000円で、今2000円しかないなんとも情けない状況なので、誰か神様が送ってはくれないものか・・・(´・ω・`)

働きたいけど働かせてもらえない

Yahoo!ニュースでひきこもりの記事がいくつか取り上げられていて、昔と比べると批判の声はだいぶ少なくなってきたように思う。

でも、それは理解があるというよりは「もう誰が、いつそうなってもおかしくない」そんな不安や悲壮を感じさせるコメントが目立つような。

自分の思うひきこもりって、いじめからの不登校や20代くらいに退職して、社会に適合できない人が親の扶養のもとズルズルと・・・という感じだったけど、最近だと中途採用に挫折してとか、コロナ禍でという話が目立ってきたように思う。ひきこもりが意味するところも変わりつつあるのかもしれない。

そうこうしている内にどんどん歳を重ねて「働きたいけど働けない」だったはずが、「働かせてもらえない」になっているのではないだろうか。

最近耳にする外国人労働者との競争も増えていくだろうし、自分は生き残っていけるのだろうか・・・。

ひきこもりには友達が必要だ

世のひきこもり同士が親に罵倒され続けるのは想像に難しくない。

何を言っても聞き入れられず、否定され、何時でも正しい親と、現状認識が出来ない愚かな自分「人間関係がそんな親としかなかった」ら?

自尊心はすっかりボロボロになり、自分をダメ人間という意識で固めてしまうだろう。結果塞ぎ込んでひきこもり続けるしかない。支援を頼っては、相談しては「そりゃあ、働かないとダメだよね!」と。何一つ肯定できることが、肯定されることがないのだから。

そこで友達がいたらどうだろうか?孤独な時、寂しい時になんとなく話に付き合ってくれたり、散歩とか、食事とか、買物とか、ゲームとか、そういったものに付き合ってくれて、自分を一人の人間として対等に扱ってくれる人。自分に合ってくれる人。自分の為に時間を使ってくれる人。

そういう人がたった一人でもいれば、例え罵倒されても厄介者扱いされても自尊心は保てるのではないだろうか。自分の定義を無能な脱落者にせずに済むのではないだろうか。「皆死ねばいい」「ほんとそうだよな!」なんて言い合える人がいれば、最悪の事態は引き起こさないのではないだろうか。

 

と、考えて、いないからひきこもっているんじゃないのか・・・?いたらどこかで復帰できるのでは?と我に返る。

 

挫折込みの教育や人生設計をすべきでは

いろんなことに興味を持ち、目標に向かって努力する。結構なことです。

だけど一番大事なのは「挫折からの復帰」ではなかろうか。

世の中努力や成功ばかり語られて、挫折や脱落することが忘れられてはいなか。

挫折というと当人の能力、努力不足で語られがちとは思うけど、怪我、病気、天災、人間関係、その時々の状況など自分ではもうどうしようもないことも多い。

夢や目標一筋で頑張り続けてきた人が、それを断念しなければならない状況に直面したら・・・。

挫折することを考慮して、教育や人生設計をしていけば生きやすくなるのではないだろうか。自分は未だ立ち上がれていませんがね。

当ブログではGoogle Analyticsを利用して、アクセス解析を行うためにcookieを使用しております。 Google Analyticsで集計したデータは、当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。 なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。 Googleによるデータの使用については、「ポリシーと規約」を参照してください。