一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

コメントをくれていた人

なんだか仕事が嫌だったり、上手くいかないと人生そのものがつまらなく感じたり、絶望的な気分になるから困ったものです。

また、一日10時間拘束される日々が続くのです。

大きな悩みの種が、壁のように目の前に立ち塞がっていて、これを前にすると休みの日であっても活力が全然湧いてこず、最低限の家事をやった以外は寝るか、ネットサーフィンで過ごし、無駄に一日を終えようとしています。

 

そういえば、去年までは別の場所で日記を書いていて、いつもコメントをくれる人がいたんだよ。

自転車屋のバイトを辞めた辺りから書き始めていて、丁度ニート状態だったので、ニートの日常的なことや趣味や悩みや普段感じたことなどを書いていた。

そんな感性が真新しかったのか、はたまた自分と似た感性だったのか。自分も面白かったので、コメントのやりとが結構な期間続いたように思う。

でも「このままというわけにはいかない」とか「世間体」とか「親からの圧力」などがあり、しぶしぶ就活することにしたんだよ。

すると、自分の書いている日記がだんだん就職に対する不安や焦り、周りに対する反発(自分の表面と内面に対するギャップとでも言えばいいだろうか)みたいな内容になってきたんだよね。

見かねた彼は「自分の意思というより周りに流されている感じがする。今の君にはかつてあった持ち味がまるで無い。明らかに余裕が無いだろうし、それだけ嫌だ嫌だ言っているのに行動していることが理解できない。君には恐らく困難であるだろうから、別の道を模索すればいいじゃないか」とコメントが寄せられていた。

それに対し「誰が助けてくれるわけでもないだろうし、自立しなきゃならない。就職が無理だなんて、やってみなきゃわからないじゃないか!」というような事を返信した。

立派に就職してみせるというよりは、単に「君には無理」と言われた事に腹を立てただけだった。

結局、「今の君を見ているのが辛い。付き合いきれない」というような感じで決別してしまった。

さらにそれから数か月後に無事?に今の職場に転職することができたんだけど、思えば履歴書片手に面接に向かう時は、もう少し希望に満ちていたような気がする。

彼を見返すことは出来そうにないなぁ・・・。

 

今にして思えば、自分のどういう部分に興味を持ったのか、聞いておけば良かったなと。

それが後々自分一人では恐らく気づけないであろう、なにかのヒントになるかもしれないじゃないですか。

 

 

 

 

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