一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

葬儀場

病院の隣に葬儀場を作るということで揉めていた。

やっぱり不謹慎だと反対する意見が多い。

「生きようとする患者に対して隣に葬儀場とは何事か」

「霊柩車通るんでしょ」

「死を待っているみたいでしょ」

おまけにもし建設されれば、その病院の2階、3階から葬儀場が丸見えなんだとか。

反対する意見ももっともだと思う。確かに死にたくはないし、死を連想するのも気分が悪い。

とはいえ個人的には別にいいかなと。

前提としていつかは必ず死ななければならないし、その病院は末期患者を治療している病院だそうで、尚更死を覚悟しなければならない瞬間もあるんだろうなと。

逆にそういう光景を見ることによって、改めて「人生とは」「死とは」と考え最悪を覚悟する準備時間にもなりえるんじゃないかと思う。

もし自分が余命宣告でもされたら、残りの時間は出来る限り一人で過ごしたい。

最後に自分について、一人で考える時間が欲しい。

でも、自分は(すくなくともすぐには)死なないと心のどこかで感じているからこそ、そんなことが言えるんだとも思う。

いざ宣告なんかされたら深い絶望と虚無感でもっと惨めになるはずだ。

考えてみれば、何をやったところで変えようがないんだけどね。

 

しかし、皆しきりに「患者の気持ちを考えろ」と発言している割には、当の患者の気持ちが全く無かったのが気になる。

そこが一番知りたかった。

まあ入院しているわけだし、いろいろ事情もあったのかもしれない。

 

以前、地下に大量の人骨を見えるようなかたちで安置している場所の話を聞いた。

いつだって死を忘れない為にそうしているんだとか。

それを聞いて少し安心するような気持になった。

 

 

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