一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

他人の幸せ話が鼻につく

ことってないですか?

いろいろ考え事をしながら調理していたせいで焦がしてしまった。ベーコンがプラスチックみたいだ。固い・・・。まあせっかくだから書いておこう。

 

自分の場合は家族ですので、他人ではないですし、弟夫妻が苦手なタイプの人間ではあれど「嫌っている」わけではないので、鼻につくという程でもないわけですが。

 

古くは学校生活、人間関係、就職とあまり人生が上手くいった試しがなく、いつも何かに悩んでいるような人間です。

嫉妬と言えば何だか醜いですが、そういう感情を抱かない人も珍しいかと思いますし、かといって彼らと同じものが与えられれば満足するということでもないのです。感性が違いますからね。

クリスマスカードに付いた写真とメッセージを見ればあなた方が幸せなのは、十分伝わってきます。正直わかったから放っておいてくれよと思わないでもないです。

彼らの性格を考えると恐らく毎年コレが来るわけだ。

 

そんなことを考えていると、例え自分が幸せの絶頂期にいるとしたって「自分がこんなに幸せなんだから、その話を聞く相手だっていい気分に違いない。ましてや家族だ」などと単純な思考に陥るのは危険だと、自分もよくよく考えねばと、身の引き締まる思いでした。

全員がYESなどというのは、やっぱりありえないと思う。

 

道徳的、人の道的に考えれば「皆の笑うべきときに笑い」「悲しむべきときに悲しむ」ですが、そうは単純な話で収まらないのが人間。

エヴァンジェ君、君も高校時代の吉本新喜劇で痛感したじゃないか)

予定通りにいかないからこそ、辛くもあり、面白くもある。

 

こと最近は相手が何かしてきたときなんかは一旦感情を置き「理由を考える」というクセをつけていますが、これが本当に難しい。

感情は客観的な判断を狂わせ、本質が見えなくなってしまう恐れがある。

いつも「何故」を考える練習をする。考える事を忘れた人間は右倣え右の無味乾燥な人間になってしまう。

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