一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

根深く残る嫌な記憶

15歳なんて人生のほんの一部だろ?

いじめの経験なんて一瞬。これから先の長い人生を思えば、年を取った時、子供の頃の思い出程度になっているでしょ。

それも経験と捉えて、今後を充実させなさい。

という書き込みを見た。

 

一理ある部分も同意するけれど、いやいやそういう多感な時期に受けた影響って、後々まで心に刻み込まれる気がしますよ。

他人は変えられん、自分が変われと人々は言うが、「何を」「どう」変わればいいのかは考えてくれないのである。

何度も言うが「言うだけ」なら誰にでも出来る。

 

それで、自分は特に中学生時代、とにかく学校に行くのが嫌でしかたがなかった。

テレビやネットで取り上げられる程、陰湿なものがあったわけではないが、授業について行けず、運動もだめで、人付き合いもだめだったから、そのことをよくからかわれていた。

だからか、先日の知能検査も非常に居心地が悪かった。

先生は自分しかいないから、気にしないようにと言ってはくれたけど。

今にして思えば、全く自分の態度に問題が無かったかというと、そうとも言えない気がするし、その恨みをを癒すかの如く、また他人をからかってもいたので、特にこの部分は深く反省するべき点だと強く思う。

学生時代はどうだったか?と聞かれると「自分も周りも皆嫌だった」と答えている。

 

最近思うのは、楽しかった思い出は思い出そうとしなければ思い出せないが、嫌な記憶はなんの前触れもなく出てきてしまう。

ふとした瞬間や夢であったり、例えば知能検査のような出来事であったり。

そして、楽しかった思い出は恐らくマイナスな影響を及ぼさいが、嫌な記憶は静かに、しかし確実に及ぼすんじゃないだろうかということ。

 

また自分の話で恐縮ですが、27年間の人生の中で今考えても体育の授業は未だ最高レベルに嫌な出来事として記憶に刻み込まれている。

それが影響してか集団で何か一つの課題を進めるということに対して強い苦手意識がある。嫌悪までいっているかもしれない。

スポーツのもルールもわからず、この間病院で野球のルールを知っているか?という質問に知らないと答えたら、親に引かれてしまった。

 

自分も未だに引きずっているので、「それと向き合って生きていこう」と軽々しく言うわけにはいきませんが、多分癒すこともできないと思いますので、なんとか前に進んで行くしかないんじゃないでしょうか。

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