一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

言葉の責任逃れ

「失礼を承知で」「説教できる立場ではないけれど」「お前の為を思って」「傷つけるかもしれないが」

こう最初に断っておく人はイマイチ信用できない。

何故なら、次の瞬間には上から目線の不快な言い方の話が延々と続くからである。

そういうのを見たり聞いたりってありませんか?

つまるところ、覚悟や責任の表れではなく、「事前にそう言ったから」という免罪符にしている気がしてならない。

言葉は時として自分が思っている以上の影響を与えてしまう事がある。

ある本には「言葉は力でもある」なんて書いてあったり。

自己責任、自己責任と流行って久しいけれど、結局誰だって責任なんか負いたくはないだろうし、そもそもそれって他者が一方的に決めるものなのか。

あらゆる所業を省みて尚「責任は私にあります」と覚悟を持って言えることが自己責任ではないのか。

何にせよ、信用できんなぁ・・・。

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