先日の一件をずっと考えていて、というより腑に落ちない事が起こると自分の意思とは関係なく、ずっとグルグルと頭の中を回り始めてしまうので非常に疲れる。
それで、以前に書いたことだけど、お互い「自分の言っていることは正しいはずだ、正当性があるはずだ」という前提を疑わないと拗れに拗れてしまうと。
自分の言い分が間違っていないと過熱して、もう何が何だかわからなくなってくる。
自分で書いておいて、留意しておいてそのまんまの事をやらかしてしまった。
自分の性格もあるかもしれないが、注意していてコレなんだ。対話のいかに難しいことか。
会話でのやり取りだと文章と違い、咄嗟に返事を出さなければならず、冷静に考える時間が無いので何を喋ったのかよく覚えていないし、自分の発言がどう受け取られたのかわからない。(会話というのは本当に速い)
自分の意図した事と違うような受け取られ方をした気がするし、言い方も少々誤解を招くようだった気も・・・。
ただ、流れがマズくなってきたから「個人やその周囲を批判する」ような発言は避けなければと努めてはいたが・・・。
しかし、皮肉なもので「自分にとっては!」この数か月間のコミュニケーションの訓練よりも、最後の数十分のあの人とのやり取りの方が遥かに考えさせられ、勉強になった。
痛みを感じ、嫌な気分になり、繰り返したくはない
だから想像し、真剣に考えるのだと。
結局全く同じ状況なんて二度と訪れないし、人の気持ちも本質的には永久に理解できない。
「勉強すれば、訓練すれば防ぐことができる」と考えているのかもしれないけど、修行の様に何度も失敗と経験を積み重ねて、心に刻んでいくしかないって。