一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

苦痛でも続けるべきか

「この訓練に参加する趣旨って何だっけ?」

「同じような境遇の人が集まり、話し合いコミュニケーション能力を身に着け、社会で上手くやっていくことだと思う」

思い返すとそんな会話が出ていた。

自己紹介の時にも、この訓練、グループを通して学び、社会でどうのこうのと発言している人がいた。

自分と比べてどのくらいかはわからないけれど、会社は勿論、ここに来るのも相当ストレスで、でも来なくなったら引きこもりがちになってしまうし、頑張って来ることで克服したいという人もいた。

 

まあ感じ方は人それぞれだし、否定するわけでもないんだけど、そのレベルに達しているヤツはいいよな・・・。

自分はADHD持ちで不注意や物忘れとかを頻発し、信用を失うので、そういう障害とどう付き合っていくのかとか、例えばADHD持ちの人で社会で何とか上手くやっている人を招いて講義でもするのかと思っていた。そういう話も出るには出たけど、圧倒的に少ない。

決してコミュニケーション能力で困って、鍛えたくてグループの門を叩いたわけじゃあないんだ。

そんなもんだから訓練以前に何をしにあそこにいっているのか自分でもわからなくなってしまった。

そこに加え、集団でグループ作って、ロールプレイをするとか、毎朝のウォーミングアップと称してゲームに参加させられるとか、苦痛ばかりで何も身につかない。

 

どうだろう?嫌な事でも気持ちを押し殺し、とにかく耐えれば一歩でも二歩でも成長できると思うだろうか?

それとも、苦痛なことを苦痛なままやっても、より一層嫌になるだけで何も身につくはずはない。合わない環境からは降りるべきだと思うだろうか?

どっちとも言えないところが難しい。

 

初級の最後の日に他の利用者に指摘されたが、「君は1分間スピーチを1分で納めることが出来なかったじゃないか。周りの顔色を窺って、調整することが出来なかっただろう?じゃあ、訓練が必要じゃないか」と。なるべく短縮したんだけどね。

その是非はともかくはっきり言える事は、その人の言うことを聞いたとして、もし本当に苦痛なだけで終わって、一切得る物が無かったとしても責任なんか取ってはくれないということ。取りようがないよ。

他人の忠告は聞いておくべきだとは思うけど、あんまり他人からの指摘ばかりに囚われ、一番大事な「自分の感覚」を見失っては上手くいかないんじゃないだろうかと思いつつある。

 

 何故我々は辛い、苦痛だと感じていても続けてしまうんだろうなぁ。

 

 

 

 

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