一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

嫌なことははっきりしているのに

いよいよ明日、障がい者手帳3級の手続き・・・をする為の書類を4000円弱出して貰ってくる日がきた。

どこで働いても不注意やちょっとした物忘れで散々な評価をされてしまったが、ネットやテレビで言われている所謂ADHDと言う程酷くはない(と自分では思う)

日常生活には然程支障は無く、仕事のようなキチキチでノーミスでやれ!という環境下で発動してしまうような感じ。

「何回同じことを注意させるんだ!」「そんなに怒らせたいのか!」は最早お約束となってしまった感がある。「ふむ、君真面目そうだねぇ」という第一印象が半年後にはダメ人間となるのである。

 

先日テレビを見ていて思ったよ。体が動かない人でも仕事をしているのに自分は何をやっているんだと。

しかしね。こう言うと怒られると思うけど、彼らはわかりやすい人なんだ。

一見して支援が、支えが必要だと思わせられるものがある。

体が動かない人だって仕事をしている。逆を言うと彼らでも自分を役立てられる「場」を提供してくれた人が、探してくれた人が、話を聞いてくれた人がいたと思うんだ。

 

自分にそれを当てはめると何があるだろうか?ハローワークか支援とは名ばかりのやっつけ仕事の就職支援施設しかないんと思うんだ。

実際行ける所いろんな場所を当たってみたけど、支援と言ったって、面接の練習とか、履歴書の書き方とか、作業の練習とか、コミュニケーションの訓練とかそんなんですよ。勿論終えたからと言って上手くやっていける仕事を与えられるとかは、断じてないです。

最終的には自分で探してもらうと言われたから、そんな支援を受けるよりとっとと仕事を探した方が早いよ!とどこも蹴ってしまった。

確かに早かったわけだけど、中々に過酷でもあった・・・。

 

入社一週間程経った日、上司二人に呼び出され、正社員としての誠意や熱意を君はどう考えているのか語って欲しいし、聞きたいことがあると尋問されたことがあった。

要するに、我々はこれだけ会社に貢献している。それも責任感があるからだ。残業や休日出勤をどれだけこなしてくれるのか?という話だった。

毎日の残業、土曜日出勤の企業戦士的な考えには、自分はとてもついていけないよ・・・。

 

過去からしか未来は想像できないんだよ。

自分の過去を思い返してみても学生時代からずっと落ちこぼれであったし、仕事っぷりを考えても希望は無さそうだ。

長時間会社に拘束されることも、とてもつらい。

ダメなこと嫌な事ははっきりしているのに、何ができるのか、何が苦痛ではないのかは皆目わからない。

人は「不安だ」とよく言うが、自分は違う。最近わかった「嫌」なんだ。

過去を思い返してみても、自分の力量を考えても、周りの8時間も10時間も働き続けていける人と戦ったって勝てる筈がない。

会社という戦場はあまりに過酷である。なんでこんな過酷なのか。

巷では非正規雇用の待遇がどうのこうと激論が繰り広げられている。

望んだわけでもないのに、なにゆえそんな世界で生きていかねばならないのか・・・。

それを踏まえてどうしていけばいいんだろうかという話なんですよ。

まず話を、事情を、境遇を、しっかり聞いてくれる人すらいないのだ。

 

自分一人の努力で変えられる事など些事である。とあるお坊さんは言う。

思うに出会った人や切っ掛けでその後の人生が大きく変わる気がする。

人一人の視野や行動範囲は思いの外狭い。

 

 

 

 

 

 

 

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