散歩をしている時に最近思うのは「道を譲ってくれない」ということ。
昨日は自転車に乗った女子中学生6人程の集団がたむろっており、どきもしないから空いた隙間を縫うように通り抜けたり、今朝は子連れの母親がこれまた狭い道におり、子供がうろうろして動きの予測ができない。
自分は体が大きいからぶつかられても平気だけど、子供はそうはいかないでしょう。
どう通り抜けたらそうならずに済むか考え、通りづらそうにしているのを見ているはずなのに、親ときたら注意するでもなく無関心である!
それこそ一言「危ないからこっちにおいで」とか言ってくれれば、こっちも「いやぁ、悪いね」と双方安心して通り抜けられるのである。
なんで自分が見知らぬ他人の子供を案じ、親は知らんぷりなのか!?おかしいでしょ!
譲り合いの精神だなんて、所詮「公認された弱者」且「譲って称賛される場合」にのみ適用されることであって、それ以外は無関心でしょ。
話は変わって、いつも同じ時間、同じ場所で議論を繰り広げている爺様のグループの議論が今日は特別激しかった。
最近の若者は人間関係がどうのこうのと、すぐに仕事を辞めちゃうでしょ?とかの話だった。
ちょっと気になる話題だったので、もう少し聞いていたかったが、その場にとどまるわけにもいかず、この後は想像に任せるしかない。
まあ、恐らく若者批判だろうけれど、もしかもっと穿った視点での議論だったかもしれない。
その後20mくらい離れた所でも、何を喋っているのか聞き取れるくらいでかい声で議論を続けていた。
いや~元気な人たちだ・・・。