一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

所詮お役所仕事

思い返しても昨日の聞き取り調査での役所の職員の一言には腹が立ってしょうがない。

これまでの仕事での問題や障害に対する自分の認識を語ってくれと言われたから話したんだけど、その時一言こう言った。

「う~ん、誰にでもありますよねぇ・・・」

そりゃ大抵の事は誰にでも当てはまるよ!でもその実態は人によって千差万別。

自分にしても何度も怒られつつ、対策したり時には上司に相談したりもしたが、どうにも不注意というか、ミスをミスだと気が付かない事をどうすることもできなかった。

自分一人で解決するのは絶望的であり、支援を謳っているからこそ頼っているわけだ。

どういう時にどの程度困るのか。少ない影響で済む人もいれば、他人の助けが必要な人だっているだろう。

それにだ。もし悩みに悩んで、相談するかどうかも迷い、それでも自分だけで抱え込んでもしょうがないからと相談に来た人がだ、ありったけを語りその返事が「誰にでもあるわ」だったらどう思うだろうか!?

誰にでもあるの一言で片づけられたら、相談者の立場はどうなるのか!?

思うだけなら仕方がないが、口に出すべきことではない。そんな事もわからないんだ。

 

自分にはいとも簡単に出来ていることが、「そうできない」人がいるっていう「想像力」を持つことが大事だ。

結局人の気持ちなんてわからないものだし、そういう実態がどういう風なのかも、100%の理解は成り立たない。だから想像することが大事なんだ。

 

 

一般就労するのか、障がい者枠で就労するのか予定はあるのか?と聞かれたが、もう考え方が間違っている!そうじゃない!

この国の内情的には正しいのかもしれないが、「当事者目線」ではダメだ!

どうやったら目の前の男が安心して仕事を続けていけるのか?そうするためには何が必要なのか?とか、そういうもっと根源的な問題なんだよ。

どうしてそう0か1のデジタルみたいな考えしかできないのか。

健常者から障がい者まで、その内実は非常に幅広く、「支援」を謳うならばその辺をもっと聞き取るべきでしょう。

単なるアンケート的なものでしょ?と思われるかもしれないが、これを元に今後の就職までの流れを作っていくのだから、無視はできない。

 

恐ろしく想像力というか、発想というか、そういうものが欠落している人なんじゃないだろうか。

まあ、目の前の男がどうなろうが、知ったことではないでしょうけど。

 

大体「障害」なんていう言葉が既にダメだ!

障害と聞くと何を連想しますか?身体?精神?いずれにせよ、人の助けなしには成り立たないような、何か重大なものを連想しないだろうか?

これがいけない!もう一度言うけど、一言に障害と言ったってその内情は人によってかなり違う!

いっそ自分のような「中間」にいるような人は、準障害とか半人前とかダメ人間とかの呼称でいいんじゃないでしょうかね。

ここの所を良く考え、支援のあり方を考えていかないといけない。

あの支援会社の「あなたにあった」が信頼できるような話であればいいのだが・・・。

どうも国の政策でやっているから、補助金貰えるから、というかそれ以前に自分は仕事でやっているし、とかで当事者を置いてけぼりにしていないだろうか。

 

利益を求めるとか、損失を出さないとか、そいうことを至上に捉える社会では、支援なんて蔑ろにされるんじゃないだろうか。

嫌な例えですが、震災や豪雨被害であればいろんな人がこぞって助けに駆け付けるじゃないですか。

しかし、昨今のネット上での風当たりの強さ、「世の中は弱肉強食」とか「何故強者が弱者なんぞを助けねばならないのか」「現場の労働者や税金の負担にしかならない」とかを見ていると、誰がニートとか引きこもりとか、障がい者なのかどうか微妙な人を、泥を被ってまで助けてくれるんだろうかと思うわけですよ。

能力的に低い人を会社で働かせるとなると、いろいろ問題があるわけじゃないですか。コストも掛かりますし。

前者であれば、まず称賛されるし、ありがたがられるし、自己の肯定感も満たされる。何より誰もが必要だと思うからそうするわけですが、果たして後者は・・・。

支援とは一体なんなのか・・・。

 

 

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