一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

裏を返せば屁理屈だ

就労支援の事を書いていたら思い出したので、ついでにもう一つ。

数か月前に「長所と短所」というワークショップを受けた。

よくある、「どんな短所にも、長所となりうる部分が隠れています」というやつです。

喋りまくってうるさい人がいれば、快活、朗らかで、暗い人がいれば、静か、周りに迷惑をかけなさそう・・・とかそんな感じです。

 

このワークショップを受けていて久々に腹が立った。

何をそんな小学生レベルの言葉遊びを真面目に語っているのか!と。

こういうのを悪い言い方をすると何て言うか知っているかい・・・?

自分が親によく言われる屁理屈って言うんだ!

就職を目指す上での「長所」ですから、その会社で働く上で役に立つものでなければ認められません。それ以外だと、誰かの役に立つとか。

自分を例えて?いうと、引きこもり経験をありのままに語って、当事者を幾分か勇気づけた、安心させたとか。イベントに呼ばれるだとか、そっから本を出すことになったとか。

 

一体あのワークショップで言っていた「長所への変換」に何の意味があるのだろうか?

そんな連中を量産しているものだから、企業側としてもそんなもの当たり前になってしまっているでしょう。

「私の短所は〇〇ですが、こういう見方をすれば長所と言えます!」と語って「ほ~ん・・・そうだね」で終わるのがオチだと思います。何人もそんな人がいるから!

単なる口当たりの良いことで誤魔化しているだけじゃないですか。

 

面接の何と欺瞞的なことか。学校、支援施設、ハローワークで「こうしなさい!こう言いなさい!」とパターン通りに量産された連中が押し寄せ、それで「人を見る」なんて真顔で言うのですから、おかしなものです。

大体長所なんてものは人によって見方が変わり、いくら力説しても、うるさいやつはうるさいし、暗い奴はやりづらいのです。

 

何より悲しいのがこんなことを言われても、自分の状況は何一つ変わらないことだと思います。

突然何かに目覚めるわけはなく、その短所を認めてくれる人がいて初めて長所として成立する悲しさ・・・。

自分の経験から長所足りうるものを育てていくしかないでしょうに。

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