一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

安易に信用するな

一個人の意見ではあるけど、自分が苦痛に感じるであろう事物に安易に参加した方がいいという人を信用してはいけない。

「苦手なんだから、尚更出た方がいい」「何か得るものがあるかもしれないから」と言うんだ。

過去にも企業説明会や自助グループ等嫌な思い出ばかりあるが、記憶に新しいものだと、2年前にADHDの診断の件で病院に行ったときに主治医に「デイケアでこういうディスカッションがあるから参加するのがいい」と勧められたことだ。

当時もコミュニケーション能力のトレーニンと聞いて、嫌な予感しかしなかったが、せっかくだからと参加してみた。

結果もの凄いストレスで、あの場から早く抜け出したい気持ちしかなく、肝心のディスカッションには全く集中できず、半日で早退することもあった。

精神の高ぶりがなかなか収まらず、帰ってからずっと、ぐったりしていたものである。

結局初級、中級の二段構成の中、初級の数か月と中級の半日で挫折してしまった。

 

でも確かに得るものはあった。非常に大きなもの得た。

多大なストレスを得た!

一分間スピーチでのトラウマを得た!

あの一件以来、こういう勧め方をするやつのことは信用しないようにしている。

こういう連中は苦痛を感じる人の気持ちなんて考えようとしないし、いざやって実際苦痛とストレスで終わっても、一切責任は取らないだろう。取りようがないもん。

「そういうこともある。上手くいくとは限らない。次を考えよう」とその場を誤魔化すだけじゃないか。

 

「この事物は、これこれこういう理由で、君のこういう部分にこういう具合で役に立つ可能性があるから」と語れる人であれば、信用してみてもいいかもしれない。

だが、他人にそこまで時間と労力を割ける奴がどのくらいいるだろうか?未だ見たことがない。家族だって中々そこまではできないと思う。

 

こうなると最終的に頼れるのは自分の感性だけだ!

話を聞いて、何か自分の気持ちの琴線に少しでも触れるものがあった時、参加すればいいのである。

それなら、失敗に終わったとしても立ち直ることもできるだろう。

 

 

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