一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

幸せならそれだけで十分じゃないか

自分の人生が上手くいっていない時に、悩み苦しみ、ああこれからどうすれば・・・と言う状況の時に、とある相手から幸せいっぱいであろう一連の写真を見せつけられたらどう思うだろうか?

喜べる?見て安心した?自分も幸せな気分になった?そうであるなら、よっぽど信頼関係があるか、無関心であるが故に共感を装えるか、恐ろしく鈍感であるのかどれかでしょう。

その「いずれでもない」のが一般的な心情だと自分は考えている。

 

これが最初ではないし、はっきり言っていしまうと不快なので、そのような事はしないでほしいのだが、それを伝えることのなんと難しいこと。

言えば僻みだの何だの言われ卑劣漢扱いになるし、甘んじて受け入れるのも非常にストレスである。

第一お宅らはもう十分幸せなのだから、それで十分じゃないか。なのに何故聞いてもいない、要求もしていないのにひけらかすのか?喜んでくれる連中にだけ話せばいいじゃないか。他者より上でいたい、幸せでいたい、充実していたい、一目置かれたい。気持ちはわからくもないが世の中一々ひけらかし過ぎる。

それを証拠に失敗したこと、恥をかいたこと、迷惑をかけたことなど話さないでしょう。良い話しかしないでしょう。

 

こういう連中は実に強い。批判したり、不快な気分になった時点で自動的に負けになってしまう。「なれないのは自分のせいだろ」ってね。

これがどうでもいい他人なら「関わらない」で済むのだが、自分の場合家族である。

幸せの中にいる様な人は恐ろしく鈍感であろうから、実際それとなく伝えてもすぐに忘れて元に戻るのだ。

家族愛だのなんだのって、そりゃ上手くいっている間は素晴らしいし、家族愛を出しておけば誰からも批判されない、しようものなら不届き千万ですから実際楽ですよ。

だけど家族程嫌な、どうにも断ち切れない人間関係もないでしょう。

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