一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

あなたがどういう人間になるのかは

「大部分、学校で決まる!」と思う。

 

ある人にとって、学校は人嫌い製造工場になるだろう。どう考えても、自分の人嫌いは学校で形成されたと見て間違いないように思う。

人のせいにするなって?他人との関係性の中でしか、自分は(精神的に)存在しないといっていいように思います。

名前、好きな事、嫌いな事、仕事、自分がどうふるまうのか、全部他人から意図せずに教わった事です。

いくら自分は「こういう人間だ!」と言ってみたところで、それを認めてくれる他人が存在しなければ、そんな自分も存在しないといっていい。

性別だってそうかもしれない。男らしく、女らしく。男なら、女ならこれをしろ、これをするなと誰に教わったわけでもないのに自然と、あまりに当たり前に、歩くように身につけているでしょう。つまり人との関係性の中から感じ取っていっているわけですよ。だからこそトランスジェンダーの人は苦しむわけで・・・。

 

古い記憶を辿っていくと、幼稚園の頃は人間関係は非常に上手くいっていたように思う。

誰とでも付き合えたし、今思うと愚かではありますが、自分が中心だと確信していた。(子供の考えることなので・・・)

いつか弟に聞いてみても、同じようなことを考えていたと言っていたので、まあ皆そうなんだろう。

 

そこから人間関係に「壁」を感じたのは小学校に入った直後だったと思う。

一気に世界が広がったせいでついていけない。自分の知らない間にあちこちで皆友達関係になっていて環に入れない。今までのやり方が通用しない・・・。

更に勉強や運動によってランク付けされ、子供ながらにもハッキリと「格差」を感じたのも覚えている。

ひょっとしたら、いじめもこの辺からきているのかもしれない。自分より優れている奴だと手が出せない。当然勝てる見込みが無いし、嫉妬する卑劣な人間になってしまう。手を出そうという意識すら、芽生えることは少ないのではないだろうか。ところが、自分より劣る奴なら罪悪感も無いでしょう。だって自分より劣るのに何故差別してはいけないんだと。周りは優れている奴を褒め、劣る奴を怒るじゃないかと。

体育の授業、テスト、授業中に答えなさいと突然名指しされる等、本当に地獄のようであった。体育の授業はあまりに苦痛だったので、仮病を使って見学を申し出たことがあった、何故ならいつも体調不良で見学するやつがいたからだ。そうしたら疑いの目を掛けられ動揺したのを、「なんであいつは良くて、自分はダメなんだ!」と思ったのを覚えている。

自分はあらゆる点において底辺にいたし、いい加減長くなるのでその後の事は割愛するとしましょう。

 

幼稚園時代に常に一緒にいた友達がいたんだけど、彼は当時からいろんな事ができる人だった。学校に入っても多彩ぶりは変わらず、あの瞬間すっかり疎遠になってしまった。近づき難くなってしまった。

そしてこういう一連の出来事が、その後自分はどういう風にふるまうべきなのか、自分という人間を意図せずに決定されてしまうように思う。

いつしかそういう生き方しか、考え方しかできない人間となってしまった。

そこから違う方へ歩き出せる人がいるとしたら、それも他人との関係性においてであろう。

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