一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

しかし何しろ働くのは嫌だ

とある記事にも同じようなことをコメントしたのですが、

「生きることと、お金を稼がぐことを切りすことができたら、もっと人間らしくなれます。働いて稼ぐことが生きる条件だと思わされているから、みんな辛いのです。」

 

これは本当に、本~当に!切望する。


生きづらさというか、苦しみというか、殆ど人間関係と労働にあるように感じる。その人間関係も合う合わないという単純な話よりも(それも辛いものですが)、「常に比較の対象になる。自分の立場、自分が何者であるのかを決定づけるのが人間関係だ」という部分が辛いのである。

例えば学校生活なんかは成績や要領で常にランク付けされるじゃないですか。そのことが切っ掛けでいじめにも発展するでしょうし、社会に出てもそれは同じで、見知らぬ他人が外を散歩する自分を見て、「不器用で要領が悪く、忍耐力の無いダメ人間」とは見ないでしょう。どこにでもいる普通の男に見えると思います。

それが社会という「比較の場」に出ると、落ちこぼれ、ダメ人間なってしまうという。

この何をするにしても「働かなければならない、労働でなければならない、自分の価値を証明し続けなければならない」という絶望感と言ったら・・・。


そのせいか不思議と「働く絶望感」がいつも前に出てくる気がします。

何か欲しいものがあるのだが、働くのが嫌なので諦める。その内欲求そのものが減退してくるので、さほど辛くはなくなってくる。
将来が不安、でも働くことの方がもっと不安でずっと近くにある。
一切肯定されないニート、引きこもり状態は辛い。とはいえ働いても、働く辛さに置き換わるだけで結局辛く苦しい。
会う人ほぼ全ての人に咎められる、しかし何しろ働くのは嫌だと・・・。

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