一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

実践的ひきこもり論

ひきこもり当事者にどう接するべきなのか?一当事者が思うこと。

 

今まで単なる悩み、ぼやきしか書いてこなかったけど、一当事者として思うところもあるので、気分転換に書いてみよう。

以下の事は自分の体験から考えることで、大部分が憶測。全ての人に当てはまるわけではなく、また直ちに解決する事でもありません。これはほんの一歩に過ぎないのだ。

 

 

 

 

本人に迫ってはいけない。

「こんな状況がいつまで続くのか?」

「親が死んだらどうするのか?」

と、心配する家族の気持ちはわかりますが、といって「どうするつもりなのだ!」と迫ってはいけない。

その事は本人も非常に悩んでいるでしょうし、重々承知している。しかし各々動き出せない理由があるわけですよ。でなければ、とっくに働きに出ていけるはず。

そこを追及されると正に八歩塞がりで、基本的に反発しか生まない。

それどころか益々拗れ、抑圧からくるストレスが親に向かうか、自分に向かうかする危険があると思うので厳禁です。

 

 

 

 

示唆してはいけない。

では迫るのはやめて、「求人誌を渡す」とか「この求人を受けろ」とか「見学会やその他諸々に行ってこい」とか「行けば何とかなるかもしれんでしょ」というのもよろしくないと思う。情報誌なんかを置いて「これ見て悟れ」もNG。

日が浅い、既に本人が就労に向けて意欲的なら大丈夫かと思いますが、長期に渡って引きこもり状態が継続しているのならやめた方がいい。

体験的にそれ以前の内面の問題で苦しんでいると想像できるので、これも反発しか生まない。

 

 

 

 

他人と比較してはいけない。

これは特に危険度が高いと感じる。

体感的にですが、人との評価、特に優劣に悩む、恐怖する当事者は少なくないのではないかと思う。常に他人との劣等感に苛まれるというか。長期に渡ってひきこもって人間関係が閉ざされていると、どんな些細な事でもいい、自分を評価してくれる人なんて皆無でしょうから、自尊心が育つ可能性は殆どないと感じます。

そんな状況で「〇〇はこうやってうまくいった」とか「〇〇はこうしているから、あんたも・・・」ましてや「〇〇は立ち上がったのにどうしてあんたは・・・」なんていうのは禁句です!

うまくいった話なんだから良いのでは?と思われるかもしれないが、自分からすると「その人はその人。自分がそうなれる保証なんてどこにもない!どうして自分目線で考えてくれないのだろうか・・・」そんな風にしか思えなかった。

 

 

 

 

心配している、お前の為を思って、期待している。

これは本当に、本当に嫌だった言葉!

つまりそれは相手の期待通りに事が進んでいる間はいいけど、そうでないならもう知らん、見捨てる。そう言われているようにしか感じられなかったし、それとなく言われた気もする・・・。

「心配している。お前の為を思って。期待している」

これに反論するのは即ち・・・。そういう踏み絵を足元に用意され、「踏むのか踏まないのか迫られている」自分にはそのように映った。

期待からくる、その通りにしなければいけないという重圧。

拒否したら酷く落胆され、見捨てられる恐怖。

心配していると言いながらその実、自分の意志や考え、悩みなど全く考慮されていない孤独感。

言う方はいいですよ。心配しているとか言っておけば加害者にはなりえないですから。あろうことか「心配しているのにそういうことを言うんだ・・・!悪者扱いにするのか!」ときますから。

果たして本人が「一体何に悩んでいるのか」把握しているでしょうか?

期待が上手く機能するのは、期待する側とされる側の「思惑が一致」し且それが上手くいっている場合だけだと自分は思う。

絶対に言わないでください!

 

 

 

 

では、どうすればいいのか?

わかりません。自分も現在進行形なので・・・(2021年1月現在)

 

ただ言えるのは、必要なのは安心感、見捨てられていないという感覚。だから本人の話に耳を傾けてほしい。馬鹿げたことでも、とにかく聞くこれに尽きる。

「ひきこもりはなぜ「治る」のか」という本でも、本人の自発性を尊重することの重要性が説かれています。

自発的な意志なら意外と長続きすることもあるし、失敗から通じて学習もする。ダメでも別の道を見つけるかもしれないと。

そういう風に「開かれている」と抑圧から解放されますし、心配しなくていい。言った当人にも「とりあえず聞いてもらえた。本音が話せた。伝わったかな?」という満足感と安心感と信頼感も生まれるでしょう。自分に必要だったことにも思う。

 

かつての自分がそうであったように「荒療治」「やればなんとか」では、一概には否定しませんが、よっぽど恵まれた職に就かない限りは、すぐに心が折れる、限界値が非常に低い。すると絶望が益々凝り固まってくる。

とりあえず家族のコミュニケーションが開かれ、本人が安心感を感じられれば自発的な行動ができるのではないかと思う。

すぐに働けるようになれば儲けものですし、そうでなくとも最寄りの支援機関(これもピンキリなのでいろいろ行くと良い)を頼って、人間関係と支援を構築できれば尚良しです。

とにかく一人で悩み続けるのだけは絶対にやめた方がいい!

認知が歪んできます。自分には何もできない気が、周りは自分を否定する連中ばかりな気がしてきます。本当におかしくなる。

自分の悩みや問いを客観視、矯正してくれる「他者」が必ず必要だと思います。

誰だって、社会や人間関係から孤立すればどん詰まる!「あの」孤独感に勝てるほど、人間そんなに強くはない!

他人を批判できるのは、さしあたり問題が起きていないか、対処可能なレベルに落ち着いているからだ。

 

 

他人の手を借りるのは恥ずべきことではない!助けを求めよう!

 

 

個人的に切望するのはもっと社会が開かれていればということ。

全部が全部優秀な、或いは「使える」人間なわけないんですよね。そこをもうちょっと寛容に捉えていただけると、自分の様な人間が救わるのではないかと思います。

ひきこもりは恥ずべきことだとか、悪い事だという認識が、どんどん支援や救いを狭めていくと思われる。

あまりにも経済を優先し過ぎた。経済と生活が密接に繋がり過ぎているように思う。便利や発展の代償は大きく、人間の存在価値が役に立つか立たんか。それで判断されていないだろうか・・・。

 

 

 

 

最後に

最近思う。

自分だけが悪いのだろうか?確かに甘えや、態度に問題はあったと自覚している。

だけど働くことがどうにも苦しいことは紛れもない事実ですし、怒られ「これではいけないよね!」と反省しても、うまくいかなかったことも多い。

仕事にしろ、ひきこもり期間にしろ、もう十分に罰は受けたように思う。

そんなに責めないでいただければ・・・そんな感じが致します。

 

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