一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

悩むことに、考えることに疲れた

いつの頃か、ひきこもり支援関係で働けたら、もっと言うと力を発揮出来たら・・・そんな風に考えて、某就労支援会社で話した時にはうやむやになってしまった。

一時はそれで忘れたけど、最近になってまたふつふつと湧いてきたので、県のひきこもりのメール相談で少しだけ話してみた。

するとやはり現実は厳しいらしい。そもそも滅多に求人がないのだとか。

やはり無理な気がしてきた。また現実に打ちのめされるだけな気がしてきた。

 

なんか自分が希望的観測、妄想と言い換えていいかもしれないけど、それを持つといつも上手くいかない。いける気がしない。

NPOがやっているパン屋に見学に行った時も、数年前の障がい者の支援事業所の見学に行った時も、自分にしては珍しく希望的観測を持って行ったのだけど、そこはやはり「仕事」どこまでいっても仕事。自分のような軽い考えの人が受け入れられる余地なんてないんですよ。

実際面接で、支援機関で説教されたのも一度や二度ではない。

自転車屋や工場の検査の仕事だって、採用されたからにはしっかりしなきゃ!と意気込んでいたし、今度こそ上手くいくかもしれないと、良い方へ考えるようにしていた。

でも、全部ダメにしてしまった。辛く苦しい現実を乗り越えられなかった。

 

だから希望なんて持たない方がいい。叶わなかったときに、パッと次へと切り替えられるほど自分は強くない。

だから「出来ること」を目指すべきなんだと思う。だけどそれってなんだ?今まで何か一つでも成し遂げ、他人に評価されたことがあったろうか?

弟や妹も転落しかけたことがあった、これからはわからないけど現状自立しているではないか。

思えば弟は学生時代「やれば本当は出来る!」といろんな人から言われていた、対して自分はどうか、そんなこと一言も言われなかったし、特に中学3年間はあらゆることについていけず放棄していて、人間関係もダメで、人生で一番ダメで絶望し、やさぐれ落ちぶれていた時期だったように思う。

見かねた担任の先生から、「授業がわからなくてもせめてノートだけは取りなさい」と言われて「まあ、出来る事はやろうか」と反省して、高校は相変わらず授業は怪しかったけど、真面目にやってきたつもりだった。

だけどそんな小さな努力では何も変わらないよなぁ・・・。

自分はどこで間違ったのか、何がいけなかったのか。どうしようもない不安だけが残って、手詰まり状態じゃないか。

自分には何もできない気がする。仕事について、その仕事を人に認められるなんて、できないのだと思う。

 

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