一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりの「日記」

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

親に対する軽蔑心

つい昨日の事である。母と一緒に祖母の家へ向かう途中、今年定年退職した祖母と同居し続けている叔父に対する妬みのような不満を呟いていた。

「何が60で定年だ!こっちは体調崩しながらも働いているのに!60とか早過ぎるだろ!65まで働け!」とか「一日中暇で、生活の面倒まで親に見てもらっているとか甘すぎる!」とか「給料の殆どを趣味に使ったいる癖に、その一部を祖母に貯金してもらっていたとかなんなの!」とかぶつぶつ言い続けるのさ。

当人のいない所で陰口を叩く。まるでネットのそれと被さって、極めて不快な気分になった。車だから逃げ場も無い。こういう人間は軽蔑に値する。

うんざりして、「こんな所で陰口叩いて、そんなに不満なら本人に言うべきだ」と指摘すると「いや、陰口ではなくて単なる意見だ。それに言ったら喧嘩になるでしょう」と。この自己正当化するところなどますます気に入らない。

帰りにはいつもの如く「最近体調悪いんだけど、心配する気持ちはないのか?」ときた。そういうのは他の人にも要求するのだろうか?自分だけなのだろうか?

今まで自分は他人に共感できない冷酷な人間だと思っていたけど、よくよく考えたら自分と同じようなテーマを持っている人には感情が動く。

親に対してそれが湧かないのは、一つに「体験したことが無いからわからない」のと「軽蔑」があるからに思う。正直家族でなかったら関りは避けたいタイプの人間である。

「じゃあ、自分が働いていた時の苦しみが、これから働かなければならない恐怖心がわかるのか?」と尋ねたらなんと答えるのだろうか。正直お互い様だと思いますがね・・・。

 

母としては生活の面倒を見てやっているのだから、要求には従うべき、自分の心配をするべき、こちらが頼んでもいないのに何か買ってきたら喜ぶべきなんでしょう。

そうして当然なのにこの息子ときたら、どうして従わないのだろうか!最近要求的というか、親の言動からそういう構図が滲み出ている様で重い。

生活の面倒を見てもらっている事には折に触れて感謝している。だけど故に自分を縛る鎖となって、その鎖には棘が付いていて、じりじりと自分を痛めつけるのである。そんな人に敬意が持てるだろうか?

恩を与える者は、大抵恩知らずを生むものである。

 

母が自分をバカにせず、差別的な発言をせず、否定せず、「たまたま困難な状況にある一個人」として接してくれたら、自分の気持ちは180°変わっていたように思う。

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