「1人の意見に大多数が脅かされていいのか!?」
みたいな話ってあるじゃないですか。でも、1人の意見を尊重することもわからなくはない。だって目立つし、意見がはっきりしていると無視はできないだろうから。
個人的に集団が大きければ大きいほど、その論調はあやふやになっていくような気がする。「みんなとは誰でしょうか?その実態はどこにあるのでしょうか?」ってね。何事かを決める時にも「みんなは賛成だろうから」「これまで同じようにやってきたから」「口ごたえすると場の空気が乱れるし、矛先が向かうかもしれないから」と。
自分のとこの町内会の集まりを見ていても、「〇〇でいいですか?」と聞かれても答えない人の多いこと多いこと。
そんな中「反対です!」と言える人がいたらその人は強いですよ。なあなあな大衆より、批判覚悟?の反対意見は目立ち、わかりやすいので無視はできないと思う。
であれば、黙っていてよくわからん大多数より、そういう人の意見が通りやすいの当然でしょう。何事かを動かせるとしたらこういう人ではなかろうか。「もの言う人は強い。言ったもの勝ち」とはこういことではなかろうか。
「1人の意見に大多数が脅かされていいのか!?」
そうしたくなかったら、「みんな」ではなく大多数の「個人」にならなければいけないのではないでしょうかね。