一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

意見について

「1人の意見に大多数が脅かされていいのか!?」

みたいな話ってあるじゃないですか。でも、1人の意見を尊重することもわからなくはない。だって目立つし、意見がはっきりしていると無視はできないだろうから。

個人的に集団が大きければ大きいほど、その論調はあやふやになっていくような気がする。「みんなとは誰でしょうか?その実態はどこにあるのでしょうか?」ってね。何事かを決める時にも「みんなは賛成だろうから」「これまで同じようにやってきたから」「口ごたえすると場の空気が乱れるし、矛先が向かうかもしれないから」と。

自分のとこの町内会の集まりを見ていても、「〇〇でいいですか?」と聞かれても答えない人の多いこと多いこと。

そんな中「反対です!」と言える人がいたらその人は強いですよ。なあなあな大衆より、批判覚悟?の反対意見は目立ち、わかりやすいので無視はできないと思う。

であれば、黙っていてよくわからん大多数より、そういう人の意見が通りやすいの当然でしょう。何事かを動かせるとしたらこういう人ではなかろうか。「もの言う人は強い。言ったもの勝ち」とはこういことではなかろうか。

「1人の意見に大多数が脅かされていいのか!?」

そうしたくなかったら、「みんな」ではなく大多数の「個人」にならなければいけないのではないでしょうかね。

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