ひきこもりは甘えだ!と自分で自分を批判してみようと思う。間違いなく甘えの部分があるからだ。そんなことを考えていたらあるものが見えてきた・・・。
先ほどサポステから一件紹介したい企業があるから見学に行かないか?との連絡があった。調べると遠い・・・。
まず最寄り駅から8駅進み、次に乗り換えの駅まで徒歩20分程、3駅進んでそこから職場までが徒歩4分程。
「理解ある職場」とのことで見学には行こうと思うけど、通うにはキツい・・・。車があればいいんだけど、乗りたくない。恐怖心もそうだけど、なんか「観念として」乗りたくないのだ。皆が当たり前にやっていることを避けて通るのは大変難しい。別に良いも悪いも無いのにさ。ただ「皆やっている、当たり前」だよ。
でも、四の五の言っていられる立場ではないので、これは甘えでしょう。やっぱり働くのは・・・と沸々湧いてくる。何故なのか考えてみたら驚くべき?理由が見えてきた。
今の自分の状況は親の扶養にある。直ちに働く必要は無い。ある意味この時点ですでに大問題である。誰かの世話になっている状況下で、自己肯定感が育つはずがない。
更に「欲が希薄化してきた」金が無い生活に慣れてしまった。金が無いから小学生から続く模型関係は一切できないし、じゃあゲームはどうかというと、ほとんど楽しめなくなった。なんか無くても問題なさそうだ。
毎日をYouTubeやニュースサイトをだらだら眺め、時折ギターの練習をするか、本でも読むか、散歩にでかけるくらいだ。この散歩も手持無沙汰で1時間半を一回だったのを夜も同じ時間歩くようになってしまった。おかげで随分足が引き締まった。
なんだか「物事を、人生を楽しむ感覚や興味」をほとんど失ったように思う。
最近金を使って何がしたいか?を考えるのだけど何も思いつかない。おかしい・・・使ってしたいことがない。強いて言えば将来に対する貯金くらいか。これでは働くことの「嫌な部分しか見えず」、その報酬である金が、その先にあるものが魅力に見えなくなってしまう!そりゃ働く意思は出ないよね。
かつては働くつらさを誤魔化すかの如く、給料のほとんどを趣味に使ってしまったが、その殆どを「冷静になるといらなかった」と処分してしまった。金を使って道楽することの虚しさを知っているのも大きいかもしれない。
更に更に恋人は勿論いないし、養うべき家族もいない、交友関係も無いから交際費が一切掛からないし、他者からの刺激も一切ない。
これでは働く覚悟や責任感、よし!ちょっと俺もちょっとやってみるか!なんていう気力の生まれる余地は全くない!
こんな人を雇う企業のメリットとは・・・。
こうしてみると、いとも簡単に悪い方へ傾き、それが更に循環していくという地獄のループがあるのだと悟った。貧困もそうだよね。
仮に欲があったとしてもワーキングプアで、将来困窮することは確定しているようなもので、どの道絶望しかないであろう。
さて、どうしたものか・・・。