一人舞台

生きづらさに悩む、ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩むひきこもりの「日記」

「決断する」ということを疎かにしてきた結果

これまで自分の人生について悩むことはあっても、真剣に考えることはなかったように思う。あらゆることが平均以下で、出来ないことは数多くあるが、他人から評価されるようなものは皆無で、大抵時間がきて、選択を迫られて、周りがああ言うからこう言うからと進めた結果、「何がしたいのか?どうありたいのか?」そういう欲求に貧しくなったような。

まるで自分の意志や覚悟なんてものは無く、故に困難に直面すると簡単に折れてしまうし、やがては挑戦することさえ億劫になるだろう。

今も全く変わっていない。先日職業訓練校の見学に行ってきたのだけど、行きたいのかどうか、それさえよくわからない。

先方としては将来業界で働いてくれる人を育てるわけだから、しっかりとした意欲や向上心のある人を採用したいとのことだったし、生徒の目も真剣そのものだった。全くではないにしろそれほど興味はなく、それよりも社会復帰のリハビリとしてはどうか・・・とかそんなことを考えている。

そんな人が採用されて、意欲のある人が落とされるとしたら理不尽な話だろう。

とはいえ、蹴ってもっと向いた選択肢があるのかと言えば・・・。

 

親は見学はどうだった?と聞いてきたけど、親が聞きたいのは「行くのか?」ということだけだろう。また自分の悩みも、「サポステや親がどう反応するのか」ここにある。

親「えー行きなよ!」

自分「いや・・・そんなにやりたいという熱意が・・・」

親「そんなんもん、やりたくて仕事をしとるやつなんておらんわ!」

どうしてこう月並みなことしか言えないのだろうか。人に愛想が悪いだとか、会話に参加しないだとはいうけど、「それは一体何故なのか?」それを一切考えないのが親である。

人の話を聞いてくれない人に話をしようと思う人がいるだろうか?聞くとは適当に相槌を打つことでも、相手の話が終わるのを待つことでもない。

結局親にとっては、自分個人のことはどうでもよくて、働くのか、金を稼ぐ意思があるのかそれだけなのだろう。

それにしてもなんでこう自分で決意できないのか、自分で自分が腹立たしい。

正直なにもしたくはないけど、本当に何もしなかったら状況は益々悪くなるばかりだろう。

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