一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

ひきこもりには本音を打ち明ける勇気と場所が必要だ

先日職業訓練の試験に心折れて辞退し、そのことや「本音を交えて」若者サポートステーションの担当者に話すと書いた。本心を隠したまま支援を続けても苦しくなって、最後には拒否して信用を失う結果になるのは苦しい。もう自分を守ることはやめて、赤裸々に打ち明けようと。怒り、説教何でも来い!のノーガード戦法。他方礼儀として。

結論から言うと、別に身がまえる必要はなかったし、逆に向こうから「自分の気持ちを無視して進めすぎた」と謝罪されたくらいだ。

ただ、本音に関しては「そりゃあ、言われなければわからんよ」と。仰る通りです。しかし、難しい家族関係やいろんな所に相談に行っては否定されるか、軽くあしらわれるかで警戒心が強かった。

心理的な面からすぐには働きだすのは難しいという話をして、それより前にも書いた「対等な人間関係が欲しい」という部分から入って今後の予定を立てていくことが決まった。先はどうなるかわかりませんがね。

自分が何者であるかは他者によって決められる。家族との中や支援の中の自分をどうして肯定できようか。自信や外に向かっていく気力なんて生まれるはずがない。

何しろちょっとした雑談をする相手すらいない。ひきこもりであるとか、無職であるとか、無能であるとか、そういうのを関係なしに接してくれる関係が必要なんだと思う。

 

家族の会話の中で就職問題の話が出るととても孤独でつらい。

「親の思う自分像」だけで話が進んで、今自分が何を思っているのか、どうしたいのかには一切話がいかない。そこに自分はいないのだ。

外の関係性は少しづつ調整が進んでいるのかなと思うけど、家族こそ厄介な関係である。距離が近すぎる故、調整がとても難しい。

周り皆に本音を打ち明けて、とりあえず受け入れてもらえたら、悩んだり苦しんだり隠すこともなく、ひきこもることさえなかったかもしれない。

ひょっとしたら一番難しいのは外より「内」なのでは。

 

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