一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

会話とは何か?

サポステに通うようになって、そこで他者とのやり取りをする中で「会話とは何か?」そんなことを考えることが増えてきた。

通称「コミュ障」と語られるときには、悩むにしろ対策するにしろ「話し方」の視点ばかりで語られることが多いように思う。だけど自分にとっての会話テーマは「聴く力、相手の視点で考える想像力」の方がずっと重みがある。

最近親との会話で思うことがある。もっと会話に参加せよ!とよく言われる。

何故親・・・というか家族間で話をするのが嫌なのかというと、連中は話というより小言、嫌み、文句、皮肉、ああしたら、こうしたらというような独り言の延長線上をい一方的にぶつける、そんな感じのコミュニケーションをする。しかも自覚がないばかりか、言われるお前が悪いだもんなぁ・・・。

会話ではなく、自分が話したいことを、話したいときに、話したいだけ一方的に話す。

今日の例なんかでは境界知能の話を出して、知能検査の結果は言語能力が高い傾向にあって(他が低すぎて相対的に・・・かもしれないけど)、実際このブログやサポステのセミナーなんかで、説明や表現が上手いと言われたことがあるという話を出した。

何事にも自信が持てない人が、そういう前向きな視点を持つことは珍しいから、会話が広がるだろうか?との意図があったのだけど、特に拾われることはなく・・・。

大体相手の表情、声色、返事をしっかり見ていれば、それがどう受け取られたかわかるだろうに一体何を見ているのだろう?と思わずにはいられない。

こんなことを会話だと思いたくないし、誰が一方的に言葉をぶつけてくる人とやり取りをしたいと思えるのか?

本当に一体何を見ているのか?考えているのか?

会話はキャッチボールによく例えられるし、リズム感やテンポみたいなのが大事じゃないですか。その都度流れを見て、調整していくような。本当に難しいけど、奥ゆかしいことでもあると思う。

親の会話術はただ一方的にしゃべる老人のそれになりつつあるのだと思う。

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