一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

自分を信頼できるのか

皆様、いつも閲覧とスターをありがとうございます。

 

さて、先日「セミナーやデイケアなどの社会参加はそれなりに安定したけど、未だ就労問題を放置し続けているのは、やっぱりマズいですよね?とはいえ・・・」というようなことを若者サポートステーションの臨床心理士の方に相談したら「であれば、君の担当者に相談したらいいのでは?」と。

それは去年の11月辺りに書いた、あの老人男性である。事情は説明したとはいえ、苦手意識があるし、今の心情や段階で就労の二文字を出すのは、とてもためらわれる・・・。

 

どうしたら、根強い抵抗感を乗り越えていけるいけるのかを考えると、やはり「根拠」ではないかと思っている。

しかし、仕事に対する興味のカードを自転車屋で失い、一方的な支援に耐えかねて、もうこうなったら働くしかない!という勢いのカードも前職の検査の仕事で失ってしまった。

たった2回の失敗じゃないかといろんな人が言うけど、仕事とは働くとはなんとつらいことだろうという傷や、沢山迷惑を掛けてしまったなぁという負い目というか、自信を喪失して、前に踏み出せない人間だけが残りましたと。

確かにどこか適当な所に面接に行って、採用されることくらいはできるかもしれない。でも長期的に続けていく難しさや、何かつらいことがあると簡単に折れてしまう問題があると思う。だって支えてくれる根拠が無いから。なんとなくとか、責付かれてでは何度でも挫折する。辞め癖とは実はこれのことではないのか?これを乗り越えていくために根拠が必要なのだと。

 

一方根拠さえ見つけられれば、案外なんとかなるのでは?とも思う。

心理士さんが前に言っていた「誰かのため」なんて素晴らしいし、事情を知ってくれた上で、やってみないか?というお誘いでもいい。ここなら上手くやれるという実感でもいい。あるいはそれを誰かが教えてくれるとか。ここなら君は大丈夫だろう。何故なら・・・と根拠を示してくれるのなら、その人を信じて立ち上がれるかもしれない。

つまりは待っているんだよね。ある作家さんに言わせると、人生は所詮棚から牡丹餅。棚にある牡丹餅をかっさらっていける人はいいけど、そうでないならせめて棚の下に行って、皿を差し出すくらいの努力はしなさいと。

自分にとってのそれは、サポステやデイケアの参加で、そこで「現状は働きたくないです。何故なら・・・。だけど根拠があれば云々・・・」と訴えていけば、何かみつかるかもしれない。現状できるのはこんなところなんだけど、親に説明しても

バカなこと言ってねぇで働け!

と、きっと責められるだろうなぁ・・・。

 

 

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