一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

本当に「働きたい」のか?

就労支援に通っていると「働きたい」という言葉を時々耳にする。

実際に方々に見学や体験就労や面接に行ったり、求人票から探してこれはどうか?と尋ねたり、具体的に自分の進路を相談しているのなら、ああ、そうなんだな。と思えるし、そう人はいるだろう。

だけども、どう考えてもそんな風に見えない、「働きたくないと言うと問題だから、一応表面上は働く意思を見せる」人も少なくないように感じる。

自分はどちらでもなく「働きたくないです!」と職員にも宣言するタイプ。誇っていうことでは全然ないけど、やっぱり労働はつらいことばかりだったので、やりたくないし、何より自分の気持ちに嘘をつくのはとても難しい。

ただ、そこで終わらせると「何しに来てんだお前は・・・」となるので、働けるようになるためには云々とも相談する。働けるのなら働いた方が楽なことも多いしね・・・。

不安だ不安だというが本当に不安なのだろうか?まあ、不安だろう。だけども毎日ダラダラ過ごしているんでしょう?親の擁護とある種の能天気さが無ければ、ひきこもりなんてできんよ・・・。

 

本当に働いていないことが不安なら、働き出せるのではないだろうか?そうできないのは、働く不安とは別の何か?

件のKさんも、仕事を探すよりかは別の支援所を探していて、働くことに対しては消極的に見える一方、自分の働きたくない宣言には若干難色を示していたような気がする。ともかく自分も同じことをやっていたので重なって見える。

 

目立った就職活動をせず、にもかかわらず働きたいと話す人がどうにも好かなくて、本当の所どうなのか、これから接点を持った人にはそれとなく「働きたいのかの意思確認とその理由」を尋ねて調査してみようと思う。

誤魔化すことよりも、不安だ不安だと漠然と悩むよりも、不安の正体をじっくり探っていくことの方が重要なんじゃないかと思う。

でも、自分の弱さと向き合ったり、変化のための行動を起こさなければならないから、誰だってやりたくはないよなぁ。

 

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