今日は若者サポートステーションで担当者と1年ぶりの面談。
面談を予約したはいいけど、近状報告くらいしか話すことが無い。間が持たない。最近サポステでの過ごし方はどう?人間関係は?話ができる人はできた?とか訊いてもらえると助かる。自分が話せるのは今自分が考えていることだけだけど、違う視点で訊いてもらえると、「ああ、それは考えたことがなかった」と気づきになる。だけども、あの人にそんな期待は全くできないことも理解している。
実際どうだったかというと、自分が5分程度話したら、残りの55分を全部担当者が延々話し続けるという感じで、あれ、何をしに来たんだ・・・という予想通りの感じであった。もう驚きも落胆もないよ。
こちらが話し手なのに、向こうが全部持ってっちゃって自分の話にしちゃうんだよね。
向こうは真剣に伝えようとしているし、そうであるならば一応集中して聴かなきゃいけないじゃない。これのつらいのなんの・・・。熱意はいいけど、話が長いと覚えられないよね。
聴いている最中「あれ、俺何にも話していない。無口な人になっとる・・・」なんて考えていて、一つの考えが思い浮かんだ。
無口な人は何故、無口なのか?
特に話したいことは無い。人と接するのが苦手。自分の考えを言語化して相手に伝えるのが苦手。いろいろあると思う。
それに加え、ある問題もあると思って、それは・・・
話しを相手に奪われてきた人説
開口否定されたり、ありがたくもないアドバイスをされたり、意見を被せられたり、延々しゃべり続けられて口を挟む隙も無いとか、そういう経験しかしてこれなかった人たちがいるのではないか?そんなことを考えていた。
そうだとしたらこれはつらく、切ないことですよ。ひょっとして先日知り合ったIさんもそういうタイプの人なんだろうか。それで聴いてくれる人が見つかったから、つい延々と・・・?
やはり、人には話を聴いてくれる人が必要なのだ。それが他愛もない雑談であっても。そういった承認が自分自身の調整のような意味合いになるのではないかと思う。人の話を聴くことの重要性を再認識した一日だった。
これで良かったのか・・・?