先日の面接の一件で、社会に対する自分の認識は甘かったと意識せざるを得なかった。
働くことを拒否し続けて早4年・・・というか5年目に突入しようとしている。ひきこもりボケだったのだろう。
近所にあった単純作業の仕事に応募したのだけど、自分が伺った時点ですでに30人以上の応募があったとか。
巷で言われているようにIT分野やAIの発達によって単純作業の仕事が珍しくなりつつあるのか、金に困っている中高年が多いのか、はたまた自分のように「訳あり」な人が身近に多かったのか、それはわからない。
いずれにせよ、一度社会へと舵を切るとそこには苛烈な競争が待っているのだと改めて痛感する。思えば去年だったか、職業訓練の採用試験に行った時にも倍率が高かった。
つい働くことを福祉的?(事情を知ったうえで、しょうがないなぁと手を貸してはくれないかと)な観点で考えてしまいがちだけど、先方にとっては目の前にいる人間がどの程度使えるのか?どれくらい意向にそってくれるのか?そんな観点で見ているのが面接のやり取りでひしひしと感じられた。まあ、それが普通なんだけど・・・。
「30代の働き盛りの人が週3日の勤務とは何故?リスクを承知で?親は納得しているのか?」とはいつも言われることだけど、毎回答えに窮する。今回は発達障害で乗り切った?けど、理解があるのかないのか淡々とした感じであった。もうね、新卒のようにはなれないよ。
もし不採用になったり、またしても躓くようなことがあれば、障がい者枠で考えてみようかとも思うけど、自分にとっての合理的配慮とは何か?配慮をしているのだから、結果をだしてほしいという感じにもなるだろうから、どうなのか。
いずれにせよ、社会に対する自分のあり方とはどうあればいいのか?無理はしたくない。苦しくなるだけであっていい仕事なんかできやしないから。そもそも続けられない。でも、無能だし発達障害もあるから大目に見てよとも言っていられない。見てほしいところではあるが・・・。
身も心もひきこもり続けることで随分停滞したように思う。