一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

朝を迎えるのがつらい

やっぱりね、暇だと、誰も親しい人がいないと、自分の無意味さが際立ってくる。

尤も究極的には無意味なんだけど、それで納得できる程達観してはいないわけだ。

人づきあいが苦手とはいえ、誰とも会話しないのは精神的に良い影響を与えないだろう。

自分の会話と言えば、母から愚痴や小言を言われるか、目上の人にこの状況を相談して、自分が2話すと、相手が8しゃべり続けるしかない。これは「会話」とは言えんでしょ。

同世代で何気ない話、本当に何気ない話ができる人がいてくれればと思う。

「今日こんなことがあった。こんな風に思った。こんなことをしたい。」

話したり、聞かせてくれたりね。

何をしていても退屈で、すぐにやめたくなる。全てが自分の中だけで完結してしまって、開いていかないから。なんか受動的というか、消費しているだけというか、創造的でないんだよ。

上手くいった、失敗した、こんな変なことが起こった、ここは簡単、ここが難しい、こうすると上手くいく、それ自分もやった、やるよね!、これは話のネタになるかも・・・みたいな開きや共有がないんだよ。

経済的には消費してくれるだけでも御の字だけど、あんまり人を幸せにはしないんじゃないかな。

 

 

ともかく、次の面談は来月9日で、人手不足によりこんなに時間がかかるらしい。

その時には働く旨を伝えてみようと思う。結局具体的に働いてみることでしか、不安は解消されないだろう。

きっとそれでこの沼から抜け出せるはずだ。と強引に考えているけど、ひきこもるつらさが、働くつらさに変わって、結局朝を迎えるのがつらいなんてことになりはしないかと考えてしまう。少なくともこれまではそうだったから。

いずれはここ抜け出して自分を救わねばと考えているけど、一人で生きていけるのだろうか・・・。

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