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これがッ!人生ッ!!

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

本音と建て前

近々発達障害の社会復帰訓練プログラムの説明会があるんですが、親に送って行ってもらおうか悩む。

電車で行くと車で行くより相当時間が掛かってしまうし、できることならああいう空間は避けて通りたい。車なら自宅から40分程度で行け、電車だと乗り換えがあるので1時間半くらい掛かりそうである。遠回りになるんだね。

車の免許も一応あるが、当の車を所持しておらず、乗る事にも抵抗がある。

そんなこんなで、これまで自分の我儘に付き合ってもらって恐悦至極といったところであった。

自分が送迎を頼まれたら、きっと真似はできないだろう。よく送迎なんて面倒なことを引き受けてくれるなぁと。恐縮です。

 

これまでは主治医との診察がメインだったので気にはとめていなかったが、説明会となると当然いろんな人が来るわけである。

自分のようなニートから既婚者まで様々な人が過去には利用していたとか言っていたしなぁ。

自分も27だし車も運転して一人で来てもおかしくはないのである。流石にみっともないかなぁ・・・。

 

人様の迷惑になるようなことはなされぬよう

とか言われた事がありませんか?

最近悩んでいるのが、そうですねぇ例えば自分の隣に住んでいる人が大音量で音楽を楽しんでいたとしましょうか。

で、うるさいから止めてくれないかと苦情を言うわけですよ。

ここまでの話なら、恐らく疑問に感じる人は少ないのではないかと思います。

 

ここからが悩みどころで、自分が苦情を言うことで、その人の音楽を大音量で楽しむ権利を阻害しているのではないかということ。

自分は大音量という迷惑を受け、一方でそれを止めろという迷惑を相手に与えているのではないのか。

 

「人の迷惑になるようなことはするな」

どうしたらいいんでしょうかねぇ・・・。

世間体を気にするな

そう思い、自らの道を突き進んだ結果、成功を収めたり、何かを成し遂げたり、或いは特定の環境下から逃れられた人もいる事でしょう。

しかし、そうは言っても気にしないわけにもいかないような。

「世間体を気にするな」つまり世間から理解されにくい道を行くわけですから、得られたであろう助けを借りることも難しくなるわけじゃないですか。

忌み嫌われることだってあるかもしれません。

そんな状況でありながらも、数少ない理解者に巡り合えたり、自分の力で解決できる強者はいいですが、そうでないなら多大なリスクを覚悟しなければならないし、そうじゃない人の方が多いことでしょう。

 

懐疑心を封印し、嫌でも辛くても妥協する「楽な」道をゆくのか、そこからエイッ!と飛び出して行き、失敗すれば「自己責任」と排斥されかねない危険ではあるが味わい深くもある道を行くのか、非常に悩ましいところです。

 

散歩と老人

早朝に散歩に出かけると、そこら中で各々畑仕事に勤しむ老人を見かける。

それを見るたびに思うのが「仕事なんていうのはそのくらいのことでいいんじゃないの」ということ。

上を目指したい人はそれでいいんだけど、どうしてもついていけない人もいるだろう。自分とか。

 

毎日7時に家を出て、帰ってこれるのが20時も遠に過ぎた頃。休みの日にも出勤しなければならない。

時間を失い、身も心も疲れ果て、じゃあそれで裕福な暮らしが出来るかといえば、案外ギリギリだったりする。

 

便利なものが便利な故に普及し、いつしか必要不可欠となる。

払う代償は大きいものです。

 

最近は(プレミアムフライデーは論外として)一部のそういう思想を持った人たちの声も聞こえるようになった気がする。

 

ニュースを見ても若者自殺の話や高齢化の話は尽きることがない。

嗚呼、縮小社会日本よ。

 

夢でよかった

フィクションの世界であれば、よくこういうセリフを聞きますが、この時ばかりは本気でそう思った。

 

恐らく中学時代、学校で数学のテストを受けている場面。

何度か書いてきたが自分は学業成績が著しく悪かった。塾なんかでも何度説明されても呑み込めない。教わった問題なら解けるが、問題が変わると怪しくなる。すぐに忘れる。応用ができない。

そんなもんだから、夢の中の自分は問題がまるで解けず

「ああ!まずい!こんな状況がバレたら、またその事をバカにされてしまう!なんとしても!なんとしてもそれだけは避けなければ!それにしてもなんだって皆出来るんだ!」

と問題を解くより隠蔽することに必死になっている自分の姿があった。

目が覚めて「ああ!夢か!」と心底安堵する。

 

就職してからもその出来の悪さや、不注意などで度々怒られ、確かにいい加減な部分もあったので反省し、しかし本気で取り組んでもどうにもできず信用を失ったり、連日の残業、休日出勤など嫌な経験は尽きることがないが、この中学三年間程嫌だったことは未だに遭遇していない。

 

学校は皆と同じことを同じレベルでできなきゃいけないんだよ。体育とか特にそうだろう?

もしそのレールから外れる事があった暁には、排斥されることは免れないんじゃないかな。自分だけの意思では環境なんて変えようがないし、大層残酷な場所だと思うよ。

子供の時でさえそうなんだから、大人になった時なんてそうそう居場所なんて見つけられるもんじゃないと思う。

 

「努力すれば誰でもできる」

努力した、してないの判断。どこからどこまでを「努力」と判断するのか。

見る人の感性でいくらでも変わってしまうし、そんなの明確に判断できないじゃないか。

 

本当に嫌な夢だったので恨み節なってしまった。こうして自分の意思とは無関係に記憶に残り続けるのである。

 

ダークソウル3のとある指輪の説明文にはこうある

「非力に老いさらばえ、欺瞞に満ち己を見せぬ」

なんなんですかね、このゲームは。人の嫌な部分や、或いは人生の儚さを見せつけてくれます。

ゲームでも「リアル」でも。