一人舞台

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

親の方が元気なんじゃ・・・

いつまでそうしてる気だ。何でもいいから働け。(求人雑誌片手に)これいけ!これ!いつまでも元気じゃないんだ!親が死んだらどうするんだ!あんたの人生はずっとそのままだ!と個人的に心無い事ばかり言われているような気がする昨今。

 

今に始まったわけではなく、最初に仕事を辞めた時から断続的に続いている。

ニート、引きこもり経験者なら必ずといっていいほど遭遇する光景でしょう。

しかし最近思う。こう言われて自分はあらゆる気力が無くなって絶望的な、追い詰められるような気分になるのに、何故繰り返すのか。

そんな自分とは裏腹に、どこかこう発言する親はいきいきとして見える。心のどこかでは楽しんでいるんじゃないだろうか?気のせいだろうか?

年齢的にもつらいと仰ってますが、自分より全然元気な気がするんですが・・・。

少しだけ生きる気力が湧いた

ここ最近親からの圧力と、どうすれば上手くいくのか、何をするにも自信が持てなくて億劫だとか、ちょっと人に会ったり話したりするだけで妙に疲れたりと、かなり煮詰まっていたのだけど、外に出てみると昨日の雨から一転快晴で、気温も20度近くまで上がる過ごしやすい天気だった。

そんな環境に身を置いていると少しは生きる活力が出てくる。

 

思えば仕事こそが自分の中での問題点、諸悪の根源であって、何度か働いてみるもその度に仕事についていけずに怒られてばかりで、残業だの休日出勤だので自分の時間も無くなり、傷つき疲れ果てたわけじゃないですか。

この辺りを何も解決せず「働け!」なんて言われたって動きようがない。

引きこもりは引きこもらざるを得なかったんじゃないですかね・・・。

好きで引きこもっている人なんて少数だろうし、仮に好きだったとしてもずっとその状態が続くのはそれはそれで辛いだろう。

社会復帰を促しているはずが、どんどん遠ざかっていくように思えてならない。

 

どうだろうかなり偏屈した考えかもしれないけど、他人を追い詰めることになったとしても、自分の正しさを確立し、考えをより強固なものにしていく感じがあったりしないだろうか・・・。自分の考えの方が正しく、重要なんだと。

 

 

世の中に行き詰まっているニートや引きこもりがどれくらいいるのかわかりませんが、天気の良い日は少しだけ外に出て、親の恨みつらみから逃れて「生きる気力」を回復させてみてはどうでしょうか。

人目が気になる?実際周りは老人だらけで若者は目立つだろうけど、気にされるほど向こうも別に関心は無いでしょう。

親を・・・やり過ごす・・・

自分と同じような境遇の人なら一度ならず、何度も求人雑誌等を親から手渡され「これ受けろ!これ!」と言われたことがあるのではないだろうか。

どうでしょう、「はい、わかりました」と素直に従えますか?

個人的には従えない人の方が圧倒的に多いのではないだろうか。

単なる圧力としか感じられないし、定期的に発生する嫌なイベントの様な・・・。

働く前に話をしっかり聞いてもらって、自分の中の問題や気持ちの整理をつけたい人の方が大多数なんじゃないだろうか。

そういう過程をすっ飛ばして、物事を無理強いさせられるのは嫌でしょう。

 

正直に「行かんでしょ」と断れる人はいいけど、その選択は新たな火種を生むわけですよ。

そうなると残った選択肢は一つ。行く振りをしてやり過ごす。これにつきる!

なんだこれは。後何回こんなことを繰り返していけばいいのやら・・・。

他の同胞達が親との関係はどうしているのか聞いてみたいものですし、集まりにも参加したこともありましたが結局そんなプライベートなことは聞けず終いだった。

 

相談の難しさ

これまでの相談について振り返ってみて、どうしてこう誰に話しても「話さなきゃよかった」とか、終わった後「一体何を相談しに来たのだろうか?」と思うのだろうかと考えていた。

 

思うに「こうあるべき!」というような一般常識が無意識のうちに前提としてあるからのような気がする。

仕事、人間関係、勉強、お金など、誰もが問題なく過ごせているかと言うと・・・そんなはずはなく、ないからこそ相談したい、話だけでも聞いてもらいたいと思うわけじゃないですか。

だけど、話すや否や「それは直さなきゃ、それじゃダメ!」とか言われたり、言われないまでも雰囲気としてそういう感じがあることも少なくない。

こうなると相談をしにきているのに、相手の顔色を窺って「これなら否定されないだろう」という話しかできなくなってしまう。

 

例えば自分の件だと、それじゃあ「働かなきゃいけないよね?」「自立を目指していかなければいけないよね?」「集団に馴染めるようにならなきゃいけないよね?」みたいな話になってしまって、悩みの中心部分を話すことができない。

記憶にある限りでは、一度として自分の本音を語ったことがなく、相手の言うことに従うばかりで、故に自分の問題と向き合う切っ掛けがなかなか無かったように思う。

 

もっとこう、とりあえずは「この人はこういう人だから」と受け入れてもらって、その上で話を聞いてもらえるような場所があればいいのにとつくづく思う。

一般常識、「こうあるべきだ!」という前提の壁は厚くとても高い・・・。

そうできないからこそ、この世に悩みが存在するというのに。

 

自立って、どこへいけば

母曰く「鬱陶しい妹から解放されたかったら、あんたも自立して羽ばたいていきなさい」

恐らく殆どの同胞が自立を望んではいるんだと思う。

言われて「はい!自立します!」で済むような簡単な事であれば、誰も引きこもったり、ましてや死んだりしないでしょう。

特に働くこと、集団生活に躓かない、今現在就労が継続出来ている人に取っては簡単なことなんだろうか。

 

どうも何らかの仕事につけばそれで済む話と思われているような気がしてならない。

仕事に就いたら上手くいく・・・保障なんて無いし、もっと酷くなることだって往々にしてあるでしょう。

引きこもるような人間が、どうそのような困難を乗り越えていけばいいのか。親はその辺りの事を全く考えてはくれない。

 

今までいろんな失敗や挫折を繰り返してきて、同じくらい相談もしてきたけど、次に繋がった試しがない。

世の支援機関も今となっては非常に利用しにくい。就職関連であれば、当然就職の相談でなければならない。働くことが嫌で仕方が無いんですが、どうしたらいいでしょうか?と相談したらなんと言われるだろうか・・・。

心の相談だと、人間関係とか鬱とかそんなところになるんだろうか?前に利用した時には「場違いです」みたいな感じになってしまったが・・・。その間で揺れ動く、自分でもよくわからないごちゃごちゃとした、何をどう相談すればいいのかわからない悩みや感情は一体どこで相談すればいいのだろうか?

 

最近ストレスに非常に弱くて、ちょっと人と話したり、外食に行ったりするとすぐにその場を離れたく、来たことを後悔して帰りたくなって、帰るとどっと疲れが出てきてしばらく何も手につかなくなってしまう。こんな状態で自立かぁ。

自分にとっての自立って何で、どこへ向かっていけばいいのだろうか。