一人舞台

ダメ人間より生まれるたわいの無い趣味と思考の数々

就労移行支援 合わない

来週定着支援の申請のための面談があって、それが終わって「こいつなら良し!」と認められれば、一か月後に支援を受けることが出来る・・・のだが・・・。

何度通っても施設の雰囲気に馴染めないし、世間一般的なやり方が、どうしてもダメだからと、藁にもすがる思いで頼っているのに、結局一般、もしくは障害者就労を目指しましょうといった塩梅。

 

どの広告でも口当たりのいいことを言ってはいるが、全員が全員上手くやっているとは思えませぬ!当の自分もこういう支援施設系は3か所くらい通っていたが、どれ一つとして合わず、嫌になって勝手に就職を決めたりしていた。

仕事が上手くこなせるなら、あんな所に通うよりずっと楽である。

絶対「支援が既に苦痛という奴がいるはずだ!」そう思い、ちょこっと調べてみたら早くも検索候補になんか出てきた・・・。

 

 

就労移行支援 合わない


就労移行支援 通えない


就労移行支援 行きたくない


就労移行支援 意味ない


就労移行支援 実態


就労移行支援 辞めたい


就労移行支援 就職できない


就労 移行 行き たく ない


就労移行支援 無駄


就労 移行 支援 辛い

 

見ていてちょっと吹き出しそうになりました。

こんなにもダメ人間が多いというか、やっぱり皆同じことを考えているんじゃないか!と。

大体支援も発達障害系だと、期間が2年と決まっていて、それが過ぎたらはい、さよなら。もう一度受けるのも難しいという。

職員にも元当事者がいる場合があるから、理解もあると言われることがあるし、現在自分が通っている所も該当しますが、「当事者だったから、気持ちがわかる、理解してもらえる」なんていう安直な考えは、体感的に自分は成り立たないと思っています。

どうしてこう、この国のやることなすことは敗者やダメ人間にいちいち厳しいのか・・・。

支援なんて言いつつ結局ビジネスですよ。その点を割り切って考えていかないと悲しい結末になります。

結局、意志表示がはっきりしていて、とっとと就職できそうな奴に職員も尽力するんだと思う。

 

調べていく中、こんな話がありました。

自分の中で論理的な意味がつながらない情報はどうしても覚えられない

自分で意義の納得できないことをやることに強い苦痛を感じる

いや~耳が痛い。実に痛い。痛すぎる・・・。

後は周りの人の話し声が気になるっていうのもあったりしないですかね?

 

逆にこれだけ「嫌だ」という強い意志?があるのだから、そのエネルギーを何か別の方向で発揮出来たりしないものだろうか。

 

働くことが好きだと言うんだ

今朝、団地の広場の清掃に参加した時に、同じ棟に住むおばちゃんに話しかけられて言っていたよ。

「自分は少し前まで介護の仕事をしていて、病気で耳が聞こえづらくなってしまって、辞めざるを得なかった。介護の仕事は向いていたと思うし、好きでもあったから、まだ続けていたかった」って。

どう返事を返したらいいのかわからなかったけど、自分はあれ程労働が嫌いであるのに対して、「働くことが好きだ」と言える人ってやっぱりいるのかと思った。

 

それってどういう感じなんだろうか?必要とされている感じ?働くことが自己肯定に繋がる感じ?労働そのものに楽しさを感じるのだろうか?

いずれにせよ、羨ましい。自分もそうであったら良かったのに。

 

仕方なく働かされている人と、自ら働きたいと思う人の違いってなんなんだろうか・・・。

孤独でいいんだよ

先ほどNHKのラジオで孤独がどうのこうのという話がやっていた。

聞くに堪えなかったので、前半を少ししか聞いていなかったのだが、司会の人の話によると「孤独でもいいんだよ」と我々が応援し、メッセージを送る番組だとか。

 

まあ、あくまで個人の意見なんだけど、おかしいんだよ。

孤独を肯定するというのは、極端な話一人で生きていく、他者なぞ知らん!我が道を行く!みたいな感じじゃないですか。

なのに「他者から」の肯定なり承認を求めるというのはどうにも腑に落ちない。冒頭で孤独を勧めているのにも関わらず。

視聴者からの意見を聞いていても、明らかに肯定してほしそうな感じだった。

肯定してくれる人がいるなら「それ、孤独じゃないじゃん!」と思う。ゲストの人たちも孤独、孤独と言いつつ、なんとなく賛同してくれたり、淡い人間関係は結構あるんじゃなかろうか。

最近聞く、ぼっちだとかおひとり様だとかいう言葉も気に入らない。

孤独でいいと言いつつ、肯定してほしい、認められたいという感じがどうにも卑しく感じる。

 

今朝、年齢は25歳なのに病気で体は12歳のままで、そんな状態を誰からも理解してもらえず、とても孤独だと話す人の記事があって、「自分の感じる孤独と、この人の感じる孤独は隔絶があって、誰からも理解されないとは大層つらいことなんだろうなぁ・・・自分がそんな状況に置かれたら、どうなってしまうんだろう」とあれこれ考えていたので、余計にそう思ってしまう。

役所の仕事は遅い

今日は定着支援を受けるための申請をするために役所に行ってきました。

後日聞き取り調査をしなければならず、そこから申請完了までに一月近く掛かるとか。

掛かり過ぎである・・・。

日頃の生活や支援を受けるにあたっての考えを聞くとか言っていましたが、例えば「パチンコが趣味で毎日通っています」とか「彼女と同棲していてヒモみたいな状態です」とか答えたら、なんだお前は!?みたいになって却下されるんだろうか。

 

しかし、これでいよいよ就職が間近に迫ってきて気が重い。

支援を受ける以上は結果を出さなければというプレッシャーもある。

通い始めて何か状況や心境に変化はあったか?悩みを何とか対処可能なレベルに落とし込めたのか?主体性は見つけられたのか?といった話しは何一つ解決していないのである。

それが解決できないまま、勝手に進行してしまっているような感じ。

過去3度の就労経験から言っても、労働はただただ辛く、時間と体力を奪われていくだけで、身近な人の小さな頼みならともかく、「人や社会の役に立つ」なんて自分にはできなかった。

仕事をして、帰って寝て、そうこうしているうちに人生を終えてしまう・・・。

 

なんだって、生まれた瞬間からそういう構図の中にあってしまうのか。

何故労働だけが生き方の全てみたいになっているのか。自分はそれしか知らないのか。

 

帰り道、いろんな人とすれ違う中「今こうして悩んでいる時に日本のどこかで同じように、どうしようも出来ずにもがいている人がいるんだろうか?何人くらいいるんだろうか?」と、そんなことを考えていた。

 

なかなか悩みを話したり、相談できる場所って無いよ。

あったとしても、日に1時間とかそんなもんでしょ。

やりたかったこと

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こんな感じで、頭の中でポッと浮かんだ事をそのまま絵に出来る様な技術が身につけばいいんだけど、この程度でも「説得力」を持たせようとすると結構難しい。

 

思うに苦手意識を持ったまま大人になると、まず「楽しめるようになる」修行が必要になる気がする。

すでにこの時点から、修行、忍耐、継続なのだ。で、ある程度形にできる技術が身についてようやく楽しめるようになってくる。この間友人も言っていたが、仕事が忙しく、疲れる中、そりゃ皆やらんわ・・・。

 

ニュースとか本を見ていると「圧巻!写真のような驚くべき絵!」みたいな話ばかり出てきて嫌になるなぁ・・・。

君らは良いよなぁ!苦労があったろうけど、出来るようになって、結果としてほとんどの人から評価されるし、なにより描くことが楽しいだろうから。

学ぼうという強い意志、動揺されない心が無ければ、他人の絵は見ない方がいい。

ペースを乱され、それは返って毒になる・・・。

 

ここで一曲。


Dave Grusin - Mountain Dance