一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

いざ!ネットビジネス!

には程遠いですが、こんなサイトを見つけたので、興味本位で出品してみました。

 現役のニートがお話をお聞きします とりあえず話だけでも聞いて欲しい方歓迎

自分が活かせる知識?ってなんだと考えたら「ああ、そうだニート経験だ!」と。

しかし、思いの外ライバルが多い!それにニートや引きこもりを対象=金の無い人なはずだから、雑談に500円(これ以上下げられない)払うかって聞かれたら厳しいだろうなぁ。販売実績0の表示が涙を誘う。誰でも最初は0なんだけど、いろんなライバルがいる中、敢えて0を選ぶ人はいるのだろうか。何か特色が必要なだなぁ・・・。

ニートビジネス早くも暗礁に乗り上げる(-_-;)

神よ!私にチャンスを!自分にもできる事はあるという実感を!

台湾へ行けたらなぁ

なんかいろいろブログを見たり、調べていく内に台湾に移住に興味が出て来たなぁ。

日本でやられまくったので、いっそ新天地へ・・・というわけです。

しかし、何が必要なのか?中国語の勉強が必須なのだろうか?それよりも何かしら働いて元手を作るのが重要だろうか?何より自分には行動力というか、行動する勇気が無い。

ああ、こういう時に手を貸してくれるサポート役がいてくれれば、ひょっとしたら動き出せるかもしれない。

そしてもし本当にやってのけたら、大きな自信に繋がるはずだ。

 

具体例作戦

本当はハローワークに行く予定だったのが、天気が悪いのと何だか腰が重くて来週にすることにした。自分との闘いである。

その割には散歩に出かけてしまった。体を動かさないと調子がでない。

しかし、結果的には延期して良かったかもしれない。ある作戦を思いついた。

今まで何処に相談に行ってもダメだった。何故か?具体例が無かったからだ!

というわけで、こういう感じの仕事で、週3、4日の勤務でOKならいけるかもしれないと幾つか書き出してみた。

おお!どうしたことだろう!結構書けるぞ!何故かアイディアが出てくる!

こうして見ると、ある共通点が出てきた。

それは物やサービスを売って儲ける仕事よりは、人の役に立つ?代行系の仕事に興味がありそうだということ。利益重視ではない?仕事だ。

実際に求人があるのかどうかはわからないけど、的を絞るのには大いに役立つはず。

いきなり行って、「何が出来るのかわかりません。行き詰ってます」なんて言ったって、何を求められているのかさっぱりわからなかったはずだ。だから手当たり次第になって、嫌になってくるという。

 

もし「働くことが苦痛でなかったら」「続けてみてもいいかな」そんな想像をするとワクワクする自分がいます。

もう十分嫌な思いはしたし、挫折もした。というか挫折しかしていない。人が如何に立場で相手を決めつけるのかも痛感した。悪い状況だっていつまでも続かないでしょう?

気が付いてないだけで、探せば自分の中に何かあるのかもしれない・・・。それを見つけて繋げられるかどうか・・・。

そろそろ自分の人生を生きて、家族の枠組みから離れたい。

 

 

 

 

やるせないいがみ合い

昨日の一件の事で先ほどまで母とメールでいがみ合い、如何にお互い理解できないかを確認し合って一段落着いた。

「心配している」と言いつつ、あのような言い方をいつもして「人の自尊心を傷つけるのはどうなのか!自立を願うことと逆行しているじゃないか。ああいう言い方をしなければならない根拠はあるのか」ということを問題のテーマにしたかったのだが、自分より立場の低い愚かな息子に反論されるのが癪に障るのか、「養ってやっているのに何だその態度は!?こっちだって働いて大変なんだぞ!親が死んだらどうするんだ!扶養を止めてもいいんだぞ!勝手にしろ!」と問題の焦点を変えられてしまう。

なんだ!自分だって小言なんか言われたくないんじゃないか・・・!

立場を利用して議論の場に立たず、こういう形で一方的に遮断するなんて、ズルくないですか。

それにしても、いがみ合うことのなんと醜く、合理的でないことか・・・。散々嫌な思いをして、何も残らないのである。

 

親からすれば、単なる働く働かないってだけの問題なんだろうけど、一個人としてはもっと込み入った、拗れた人生の問題なのである。この認識の、焦点のズレがいがみ合いに発展するのだろう。

 

そんなことから昔を思い出す。

自分は中学3年間は特に荒れておりまして、家では離婚騒動から母の友人2人が居候しだして、しょっちゅう喧嘩の、まあ家はぐちゃぐちゃでした。

離婚してから初めて父が会いに来てくれて、「じゃあ、そろそろ帰るよ」と言った時にはあまりの寂しさに涙が止まらなかったことを今でも思い出す。

人嫌い偏屈まっしぐらな僕にも、かつてはこんな感情があったのです。

 

十年ほど前に火事を起こして、今の団地に引っ越してきたんですが、大変不謹慎を承知で言いますが、火事が起きて良かったと思う自分がいる。

でなければ、あの2人が今も家に居続けたかもしれないのだ。

(亡くなったとか、そういう意味ではないです。念のため。)

 

学校では入学早々勉強、運動、美術、音楽、人間関係何一つ満足にできない落ちこぼれと化していた。

それに目をつけられて、いろいろありました・・・。本当に地獄でした。

更に朝起きれない。学校に着いても半分死んでいる。部屋がゴミ屋敷、汚い話ですがロクに風呂に入らない。髪を切らない。忘れ物が多い。ノートを買うのを忘れてばかりなので、空いている箇所全てに書き込んで、何が何だかわからなくなる等、荒んでいました。

こんな状態でしたから快楽が欲しかったのか、物欲が暴走して、親の財布からお金を盗んでは激怒され、外に締め出されることを繰り返しておりました。

周りも嫌だったし、自分も愚かだった。本当に荒んだ3年間だった。

 

だからあの時期に比べれば、今は随分まともなんですよ。

朝起きるし、食事の支度もするし、洗濯もする、部屋も綺麗にしている、風呂も入る、外に運動に出る、適度な趣味があって、なんとなく勉強もしている。人間関係は・・・希薄だけど今のところ問題はない。

ただ働くという行為がどうにもこうにも辛くて耐え難い。それだけなんです・・・。

 

明日はハローワークに情に訴える作戦で相談に行ってこようと思う。

就労支援はこのまま続けて大丈夫なのか怪しいし、親の圧力もある。

挫折と苦痛な経験から来る、根強い抵抗感。それを話したら、なんて返ってくるだろうか・・・。

 

 

 

 

 

引きこもり支援の難しさ

引きこもりの諸君。

特に辛いのは、悩みを人に理解されないことだろうか?会う人全てに小言を言われることだろうか?個人的に思うのは、何処に行けども探せども「自分の意志」が見つけられないことだと思う。

「これをやってみたい」とか「これに賭けてみよう」とか「自分にはこれができる!これでいくか」とか、そういう感情が無い。これまで言われたことをただやらされているだけだった。小中高就職と、全て流れ作業で来てしまったツケがここに来た・・・。

意志が無いというのは、即ち覚悟が無いということであり、覚悟が無いので苦痛だったりすると、あっさり心が折れる

 

この時期親や兄弟、ひょっとすると友人から「何々があるから、ああせよこうせよ。仕事に繋がるかもしれない!」と命令が来ることでしょう。顔をしかめたり、ちょっとでも小言を言うと「何様のつもりだ!」とバッサリ切り捨てられるアレである・・・。

これを「ありがとう!」と言って、本気で感謝できる当事者が何人いるのだろうか?長年引きこもった人がそうなるとは、想像しにくい。

 

何が嫌なのか。そこに自分の問題が考慮されることはない。意志も無いから余計に癪に障る。断ると怒られるので相手の機嫌を取って、仕方がなくやるだけという。それで上手くいってしまったら、それはそれで癪に障ることだろう。

しかし、やはり意志が無いので上手くいくとしたら、そこで偶然を意志を見つけたとかの奇跡でしょう。

そして、相手の言い分が正しいことも内心理解しているので、辛いのである。

 

右に倣えができない自分が社会復帰、働きだすのではなく「続けて自立すること」ができるとしたら、それは「自分の意志を見つけた時」か「何らかの縁に巡り合えた時」だろうと思う。

今度就労支援に行ったときに、その辺りのきっかけになるのかどうかを尋ねなければならいない。

ならないのであれば、通うことが根本から崩れ去ってしまう・・・。

 

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