一人舞台

生きづらさに悩む、元ひきこもりのブログ、日記

生き辛さに悩む元(暫定)ひきこもりの「日記」

行けば解決するのか?

来週の初めには、就職支援会社に正式に登録し、就職に向けてやっていくのかどうかを決めねばならない。

まだ、何にも自分の中の悩みについて、解決・・・とまでは行かなくとも、話したり、相談したり、向き合ったり、そういうことをせず、というより話していいのかもわからず、就職に向かおうとしているのである。

 

皆どういう手順を踏んで就職に向かっていくのだろうか。パンフレットに書いてあった手順通り、階段を一段一段登っていくのが如く、進んでいけるのだろうか?

支援者側から、あれやってください、こうしてくださいと言われて素直に従っていける人たちなんだろうか。

自分なんかは昔から反抗的なので、何をするにも「嫌だなぁ・・・やりたくないなぁ・・・」という気持ちが顔に出てしまうだろう。

学校生活を振り返ってみても、嫌なことを嫌々やっていても、益々嫌になるだけだと思う。

自分の中の悩みや問題が何一つ解決していないのに、満足に語ることすらできていないのに、素直に従えるわけがない。

周りの人は一体何を考えているんだろうか。

抵抗とかはないんだろうか?あるにしても、それよりやる気とか「なんとかしなければ」という向上心の方が勝っているんだろうか。

当たり前だけど、見た目だけでは本当にわからない。

逆に自分も電車でここに来るだけで、すでにやられまくっているとは、思われていないんだろうなぁ・・・。

でも、帰るとグッタリして何にもやる気が起きなくなるんだよ。

 

良い言い方をすれば「やる気がある限り、就職に関してはしっかりサポートしてくれる(それ以外に関しては未知数・・・)」

悪い言い方をすると「仕事的、商業的」である。

 

話すにしたって、どこまでが常識的に許されることなのか、よくわからない。

自分にとっては深刻な悩みでも、相手にとっては「甘え」の一言でバッサリ切り捨てられることもあるだろうし、場合によっては支援の在り方を問うような話になるかもしれない。

あそこは就職の支援施設であって、「生き方や悩み」を相談するべき場所ではないと思うわけですよ。

 

どこに行っても、主体性を持っていて、或いは見つけることができて、言われたことを疑うことなく従える、常識的な人だけが世間に受け入れられていくんじゃなかろうか。

その辺りに関しては、本当に自信が無い。

 

やっぱり「就職の支援」であって、行けば何とかなるとはならないんじゃないかな。

スタッフも全員の面倒をしっかり見られるわけではないだろうし、だとすれば頭角を表していかなきゃならない。

支援を受けているようで、その間にも商品価値としての自分を鍛え上げていかなきゃならない。

定着支援を受けた際の定着率の話が以前あったけど、仕事の定着の前に、通うことに挫折する人もいるんだろうか。

はっきりとしたことはわからないけど、来るメンバーは大体同じ人が来ていて、初日に来ていた人の何人かは、随分見ていない気がするのだが・・・。

数年前の病院でのディスカッションもそんな感じであった。

 

何年か前に深夜の番組で見た、北海道・・・だったかな?にある支援施設の話はちょっと気になった。

人生に挫折し、引きこもったり自殺未遂まで行ってしまった人が集まって、なんとか社会復帰しようという話だったんだけど、こちらは就職から更に広げて、人生の相談までカバーしていて、職員が親身になって相談に乗ってくれたり、また当事者同士で相談しあったり、話をしあったりするのである。

ああいう場所だったら、また違う印象を持てるんだろうか・・・。

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